「会いたい人が居たの。」


「会いたい、人…?」


さっきまでとは打って変わった声音に、僕は思わず彼女の言葉を繰り返した。


「そ。会いたい人。ずっとずっと好きだった人。」


彼女は、ふわりと体を揺らすと、また中庭の杉の木の下へ近付いていった。

「彼はもう此処にはいないけど……彼が過ごした場所を、見てみたかったの。」

馬鹿みたいでしょ?

最後に彼女はそう言いながら、笑った。

とても、哀しそうな瞳で。


「何で……何でそんなこと僕に…。僕には関係ない。僕に話したって何も変わりやしない。」



僕は、出来るだけ感情を抑えながら、言い放った。
彼女はただ僕を見つめたまま、もう一度微笑んだ。


「確かに私は変わらない。けど、貴方は変われるから…。」


澄んだ瞳が、僕を見つめて居た。
あれほど冷たく吹いていた風は、いつからか止んでいて、残された日の光が僕の躰を照らしていた。



僕が変われる…?


僕が変わる理由が、何処にある……?



「馬鹿馬鹿しい。」



僕は、杉の木に背を向けて、歩きだした。


どんどんどんどん杉の木が小さくなるにつれて、どんどんどんどん僕の歩調は早まっていた。



僕は逃げるようにある教室へ駆け込むとそのまま床に座り込んだ。


汗が額から真っ白な床へと落ちる。



「何なんだ……?」


僕が呟いたその言葉は、誰もいない教室に響き渡った。