______「記憶がない? 」

 ベットに座る少女は、俯きながらコクリと頷いた。

「えと、言葉も、よくわからなくて」

 しどろもどろになりながら、彼女は言葉を続けた。

「記憶、ない……どこから来たかも、わかんない」

 しゅんとした様子でワンピースの裾を握る彼女は、どこか儚げに見えた。

 雪で作られたバラの様に、触れれば砕けてしまいそうな彼女。

「とりあえず、現状はさっき話した通りだ。行くあてがないのなら、ここに居た方が身のためだろうな」

 無理強いはしない、と付け加えておく。もしかしたらどこかで家族が捜しているかもしれないからだ。まぁ、記憶がないんじゃ探されようもないだろうが。

 しかし、記憶喪失の彼女をこの先どう扱うか。留守番でもしてもらうのがいいのだろうか。


 顎に手を当て考えていた時、散歩にでも言ってたのか、雪まみれの三匹がトタン板の隙間から入ってきた。

「おかえり」

 と、無意識に顔を上げて言ってしまった。猫におかえりだなんて、寂しさの余りおかしくなったのかと思われてしまう。
 
 何かごまかそうと話しかけようとしたら

「おかえ、り」

 小さな声で、真似するように呟いていた。

「ねぇ」

 唖然としている俺に向けて、彼女はつっかえながらも聞いてきた。

「なまえ、なんていうの? 」

 とても無垢な瞳で聞いてくる彼女の顔は、白い髪の毛も相まって、やはりあの花の様に見えてくる。いやそんなことよりも

「意外に話せるじゃないか」

 もっとカタコトの外人みたいな会話を予想していたが、どちらかと言うと"喋り方を忘れている"様な感じだった。

「ねぇ、名前……」

「ああ、すまない。右から真っ黒なのがシャノで真ん中のがステラ、それであの違う色の奴がミケだ。因みに全部俺が名付けた」

 
 シャノ、ステラ、ミケ……と、繰り返しつぶやく彼女。

「素敵な、名前」

 褒められたわけだが、同時に気になることがあった。

「お前、自分の名前はおぼえてるのか?」

 どこまで記憶がないのかは知らないが、はたして名前も忘れているのだろうか?

「わかん、ない……」

 案の定忘れていたようである。

 ならばどうするかと頭を掻いていた時、彼女が俺を指差してきた。

「……何? 」

「名前、つけて」

 俺と彼女とを交互に差しながら、彼女は迫ってきた。

「猫たちの名前、素敵だから。私の名前も」

「いや、そんな滅茶苦茶な……」 

 迫られて後退しながらも、やはり無理があるとしか思えない。というか、猫と人では名前の決め方だって大きく違うのだ。いくら名前のセンスを自負しているとはいえ……

 ______その時、彼女の姿と一輪のとある花とが完全に一致した気がした。

 この灰色な雪の世界で、ただ一人、真っ白な彼女。

 無垢な瞳と、純粋な心で猫の名前を褒めてくれた彼女。

 それでいて、いまにも倒れてしまいそうな儚さをあわせ持つ彼女…そう、あの"花"の様な彼女……

「"スノウ"」

 つい口に出てしまったのは、昔育てていた花の名前。

「私の、名前? 」

 目の前で、屈んで白い髪が垂れている姿は、まさしく"スノーフレーク"の花に似ていた。

「そうだな…君の名前だ」

 スノーフレークの花言葉は、『純粋』そして『無垢』。本当の名前が分かるまでの名前にしては、出来すぎているとさえ思えた。

 そして彼女は、心なしかほほ笑んだ後。

「これから私は、スノウ。よろしくね」

「俺は、流進(ナガレススム)だ、流でいい。……よろしくな」

 奇妙な少女との生活が、始まったのである。