「神山君。」


2月のある日。
出社すると専務から声をかけられた。


「なんでしょうか?」


振り返るとニコニコした専務が立っている。


…嫌な予感しかしない。


「神山君、まだ独身だったよね?
お見合いしない??」


ほら来た。
この前もそんな話をしてきたからしらばっくれたばっかりじゃないか。


「専務。僕には婚約者が居ますから。」

やんわりと断ると、いやいや、と笑う。

「断る理由に言ってるだけでしょ?本社の人に聞いたらそんな存在知らないって言ってたよ?」


…知らない訳ないだろ。

あれだけ派手に公表したんだからさ。

「いや、本当です。広報に居ますよ、池永詩織といいます。

何でしたら電話しますから話しますか?」


スマホを取り出し電話をかけようとすると、ガッシと手を掴まれた。



「いやいやいや、本当ならいいんだよ。

居ないならどうかなって思っただけなんだ。」


慌てたように引き下がる専務。


もう一押し。


「残念です、美人なんですよ、彼女。僕の様なオヤジの彼女にしておくのは勿体無いくらいに。」


笑顔満面でそう言うと、じゃ、と手を上げて立ち去って行った専務。


はぁ。


何回目だよ、これ。


世話焼きなのか何なのか、やたらと見合いを勧めてくる上司たち。


ため息しか出ない。


だから業務成績が振るわないんだ。


「本当に彼女、いるんですか?」


不意に話し掛けられて驚いて反対側を見ると。


支社の広報にいる女性社員…中崎めぐみ、だったか?
彼女が立っていた。


雰囲気が咲に良く似た、美人。

仕事はそこそこ出来る方だ。


「本当だよ。なんだったら写真見るかい?」


スマホをタップして保存していた詩織の写真を見せた。


「へぇ、本当だったんですね。


実は本社・総務課の谷川由梨、従兄弟なんですよ。」


意地の悪そうな笑顔を見せた彼女は俺にしなだれかかるように寄り添う。

「私も、神山さんとお付き合いしてみたい。
由梨がよく話してくれた、貴方と…」

…嫌な奴だ。


過去の話をほじくり返してどうしたいんだ。


「谷川さんが君に何を話したかは知らないけど。

詩織は婚約者なんだ。
俺が愛する唯一の女性なんだよ。」


そう言って、組まれた腕をゆっくりと離し立ち去った。

もう以前の俺じゃないんだ。


詩織さえいれば、何もいらない。
彼女が俺を変えてくれた。


「籍だけでも入れとくべきだったか…」


ひとりごちて。

早く帰りたい。

詩織。

思い出す柔らかな笑顔。

白くしっとりとした肌。

あぁ…彼女の中に入りたい。


…いやいや、今仕事中だし。

はっとして周りを見回す。


こんな姿、余り見せたくないかもしれない。