幸せになるために

「い、いや、そんな!やめて下さいよ!」


スッと頭を下げた佐藤さんに、オレは慌てて手を振りつつ、書架の方に向いていた体の角度を変えてきちんと対峙し、言葉を発した。


「別に、推理小説のラストを明かしたって訳じゃないんだし、全然影響はないですよ。むしろ、読むには覚悟のいる内容だって事を教えていただけて、感謝しています」

「でも……」


「ホントに、オレが自分で判断した事なんですから、佐藤さんは気にしないで下さい。それに、考えてみたらオレ、すでに料理本を3冊借りてて、まだ全部に目を通してないんですよね。やっぱそっちを一通り見てから、新しいのを借りようかな~と」


合計5冊まで、2週間手元に置いておけるのだから、この本が1冊増えたとして何ら問題はないし、最初は持ち帰るつもりだったのだけれど、現時点ではその気はすっかり消え失せてしまっている。

そこでオレはハタと気がついた。


「あっ。すみません。お仕事の邪魔しちゃって」


いつまでもここで話している訳にはいかない。


「オレ、今日はもう帰りますね。お仕事頑張って下さい」

「あ、ええ。お疲れ様…。気をつけて帰ってね」

「はい。お先に失礼します」


ペコリと頭を下げつつそう言うと、オレは左側の通路に向かって歩き出した。

書庫を出て、廊下を進み、スタッフ通用口へとたどり着いた所でふと思い立ち、ジャケットのポッケからケータイを取り出す。


「あ、兄ちゃん?」


言いながらドアを開け、館外へと足を踏み出した。


『おお、何だ?たすく』

「えっと…。明日、行けたら行くって言ってたじゃん?」


そこから横に移動して、建物の外壁に背中を預けて立ち、会話を続ける。


『うん』

「でも、ゴメン。ちょっと、都合が悪くなっちゃった」

『あ、そうなんだ?』

「ん。色々やりたい事ができちゃってさ」

『そっかー。残念だなー』


兄ちゃんは、心底そう思ってる事をアピールするような声音で返答した。


『茉莉亜、新しい料理を習得したから、お前にも食べてもらわなくちゃって、張り切ってたんだぜー』

「んー。ごめん…」


まりあさんというのは兄ちゃんのお嫁さんの名前である。