幸せになるために

やっぱ28年間暮らした古巣を旅立つとなると、なかなか感慨深いものがある。

それから考えたら、他所の家に嫁ぐお嫁さんなんかは、さぞかし郷愁の思いが込み上げて来ることだろう。

だから迎え入れる家族は、大切にしてあげなくちゃいけないよね。

そんな事を考えている間に、トラックと、後ろを走っていたワゴン車がアパートに到着する。

皆さんさすがプロ。

瞬く間に荷物を運び入れてくれて、一時間かかるかかからないかくらいで引っ越しは完了してしまった。

まぁ、この後の荷ほどきが大変なんだけどね……。

そこは気長にやって行くしかない。

とりあえず本日からさっそく使うであろう食器ややかん、タオルや着替えなんかをダンボールから出して所定の場所に収納して行く。

それを想定して荷造りしてあったので、その作業はスムーズに行う事ができた。

一段落ついた所でふと、ジーパンのポケットに入れておいたケータイを取り出し時刻を確認。

午後1時か…。

今日は土曜日だから出掛けてる可能性大だけど、あんまり遅くなっても失礼だし、とりあえず一回行ってみようかな。

オレはそう考えながら、リビングのソファーに置いておいた紙袋に近付いた。

中身は、引っ越しの挨拶回り用ののし紙付きの手ぬぐい。

「集合住宅の場合は上下両隣の方にご挨拶しておくのがマナーだから」と、数日前に母さんから手渡されていたのだ。

わざわざ都内の高級老舗デパートで購入して来てくれたらしい。

オレの部屋は一階で、しかも角部屋なので、手ぬぐいを配るのは隣の102号室と真上の203号室だけという事になる。

ちなみに、このアパートのすぐ裏手にある大家さん宅には、すでに鈴木さんに案内してもらい、菓子折りを持ってご挨拶に伺っている。

その際に「11月の最初の土曜日に新しい人が引っ越して来ると、住人の皆さんに周知しておく」と言ってくれていたけど、オレ自身も挨拶回りはしておかないとね。

203号室の住人は運良く在宅だった。


「あぁ、わざわざすみません」


20代後半くらい、黒髪短髪ツンツンヘアーの長身で体育会系の爽やかな男性が玄関口に現れ、恐縮しながら手ぬぐいを受け取ってくれた。