お互いの話をきちんと聞いて「それは翔が悪い」「それは翼のワガママだ」と、子どものオレ達が納得できるまで、こんこんと諭してくれた。
そして常日頃から、惜しみ無い愛が注がれている事を、あらゆる物から守られている事を、ひしひしと感じながら、穏やかな気持ちで伸び伸びと、ここまで育つ事ができた。
だけどそれはとても幸せな事だったんだ。
親だからといって、無償の愛を注いでくれるとは限らない。
新しい命を受け入れる覚悟が無いのならば、最初からそんな行為はしなければ良いだけの話なのに、己の考えの甘さを棚に上げ、思い通りに進まなかった人生の鬱憤を我が子にぶつけて、何とか精神の均衡を保つ母親と、それに気付かない父親。
我が子の生活よりも、自分の恋愛感情を最優先する、「女」になってしまう母親と、それをけしかける男。
世の中にはそういう悲しい人達が、確実に存在するのだという事を、吾妻さんと聖くんに出会って、嫌というほど思い知った。
もちろん、その立場になってみなければ分からない事はたくさんあるだろう。
人一人を育てて行くには並々ならぬ苦労があるだろうし、どんなに頑張っても報われず、運命の歯車に抗えず、最悪の結末へとたどり着いてしまった人も中にはいるのかもしれない。
子どもはいない、結婚さえしていない、家族を作る事、家庭を築く事の重圧を知らない奴に、何が分かるのかと言われてしまうかもしれない。
それでも。
「だから子どもが犠牲になるのは仕方がない」なんて言い訳は、決して、許す事はできない。
許してはいけない。
第三者が嘆かずに、一体誰が嘆くというのか。
その子の一番近くにいて、庇護してあげなければならなかった筈の実の親が、その義務を放棄してしまったというのに。
赤の他人だからこそ、見える物がある。
救える事がある。
だからオレは逃げたくない。
聖くんの願いを叶えて。
今もなお心の奥底に存在するのであろう、母親から残酷な仕打ちを受け、小さくなって震えている幼い頃の理貴君を、今の吾妻さんと同化させ、長い時間をかけて、癒して行ってあげたい…。
明白になったその願いを、自分自身、しかと受け止め、改めて吾妻さんの頭を強く抱え込んだその瞬間。
ぐうぅぅぅ~~~~~。
思いっきり間抜けな音が、オレの体の中心から響いて来た。
そして常日頃から、惜しみ無い愛が注がれている事を、あらゆる物から守られている事を、ひしひしと感じながら、穏やかな気持ちで伸び伸びと、ここまで育つ事ができた。
だけどそれはとても幸せな事だったんだ。
親だからといって、無償の愛を注いでくれるとは限らない。
新しい命を受け入れる覚悟が無いのならば、最初からそんな行為はしなければ良いだけの話なのに、己の考えの甘さを棚に上げ、思い通りに進まなかった人生の鬱憤を我が子にぶつけて、何とか精神の均衡を保つ母親と、それに気付かない父親。
我が子の生活よりも、自分の恋愛感情を最優先する、「女」になってしまう母親と、それをけしかける男。
世の中にはそういう悲しい人達が、確実に存在するのだという事を、吾妻さんと聖くんに出会って、嫌というほど思い知った。
もちろん、その立場になってみなければ分からない事はたくさんあるだろう。
人一人を育てて行くには並々ならぬ苦労があるだろうし、どんなに頑張っても報われず、運命の歯車に抗えず、最悪の結末へとたどり着いてしまった人も中にはいるのかもしれない。
子どもはいない、結婚さえしていない、家族を作る事、家庭を築く事の重圧を知らない奴に、何が分かるのかと言われてしまうかもしれない。
それでも。
「だから子どもが犠牲になるのは仕方がない」なんて言い訳は、決して、許す事はできない。
許してはいけない。
第三者が嘆かずに、一体誰が嘆くというのか。
その子の一番近くにいて、庇護してあげなければならなかった筈の実の親が、その義務を放棄してしまったというのに。
赤の他人だからこそ、見える物がある。
救える事がある。
だからオレは逃げたくない。
聖くんの願いを叶えて。
今もなお心の奥底に存在するのであろう、母親から残酷な仕打ちを受け、小さくなって震えている幼い頃の理貴君を、今の吾妻さんと同化させ、長い時間をかけて、癒して行ってあげたい…。
明白になったその願いを、自分自身、しかと受け止め、改めて吾妻さんの頭を強く抱え込んだその瞬間。
ぐうぅぅぅ~~~~~。
思いっきり間抜けな音が、オレの体の中心から響いて来た。

