幸せになるために

「兄の『あれが見たい。あそこに行きたい』という言葉通りに動いた一日でしたけど、それでも様々な動物が見られて、ちょっとした乗り物にも乗れて、そして父はオレの相手をしてくれていましたから。楽しかった事に違いはなく、俺はその気持ちを一生懸命絵で表現したんです。そうしたら、先生がとても驚いて。迎えに来た母親にその絵を渡して、「りき君は絵の才能があります。ぜひ伸ばしてあげて下さい」って、言ってしまったんですよね」

「え…。言って【しまった】?」


誉めてもらえたのに、何でそんな言い回しになるのか?


「あの時の母親の姿は、今でも忘れられない…。先生の手前、愛想良く受け答えはしていたけれど、首筋に血管が浮かび上がっていて、俺の手を掴むその手が、プルプルと小刻みに震えていたんです」


しかし、オレが抱いた疑問をぶつける前に、吾妻さんはその答えを口にした。


「兄よりも俺の方が勝っているものがあったという事が許せなかったんでしょうね。勉強もスポーツもそつなくできた兄でしたけど、芸術方面だけは苦手だったようで。兄が興味がないから、家では図画工作というのはしていなかったんです。だからその時まで、母親が俺の絵を目にする機会はなくて…」


ここまでも吾妻さんは充分に辛そうだったけれど、さらにその感情が高まったのが表情と声音から分かった。


「その時点ですでにとてつもなく嫌な予感がしていたんですが、案の定、車に乗り込んだ途端に『絵なんか上手くたって何の役にも立たないでしょ!?ちょっと誉められたくらいで、いい気になるんじゃないわよ!』と、半狂乱で怒鳴られました」


もう、とても人の親が発する言葉とは思えなくて、その反応が想定外過ぎて、オレは思わず絶句してしまった。


「何故そんな事を言われてしまうのか、訳が分からなくて悲しくて…。家に着いたら母親はさっさと1人で中に入ってしまいました。俺は項垂れながらその後に続いて、ちょっと迷ったあと、ひとまず持っていた絵をリビングのテーブルの上に置いたんです。その絵は後日教室の後ろに貼り出す事になっていたんですが、時間内に終わらなかった子は家で仕上げて来るように言われていて、俺も、もっと色を重ねて塗りたい箇所があったので持ち帰る事にしたんですが…」