幸せになるために

「もちろん、今俺が話したような言い方はしてませんでしたよ?もっとオブラートに包んだような表現でした。そして『それだけお母さんは頑張ってお前をこの世に送り出したんだ』というニュアンスでした」


その部分に、オレは妙な引っ掛かりを覚えたのだけれど、かといって挟む言葉も思い浮かばずに、そのまま耳を傾け続けた。


「母はとにかく外面が良く、家の中でしか俺に暴言を吐いたりはしていなかったんですが、祖母は薄々感付いていたのかもしれません。そして、自分の死期を悟った時に、娘を叱咤するのではなくて、孫の俺に対して遠回しに『どうか許してあげて欲しい』と、無茶な要求を遺言として残す方を選んだのではないかと」


そこまで一気にまくしたてた吾妻さんは、いつの間にか早口になり、声のトーンも上がっていた自分に気付いたのか、気を落ち着かせるように一旦言葉を切り、深呼吸した。


「……でも、俺はそれでようやく合点がいったんですよね。思わぬタイミングで腹に宿り、妊娠中も出産時も散々苦しめ、兄一人に注ぐ筈だった愛情も時間も金も盗んで行く、自分達の人生を大いに狂わせた俺の事を、母親はこの上なく憎らしく思っているんだろうな、と」

「なっ。そんなの、吾妻さんにはこれっぽっちも責任なんかないじゃない!」

「でも……。母親は、そうは考えてくれなかったんでしょうね」


思わず発したオレの言葉に、吾妻さんはちょっと疲れた様子で答えた。


「ああ、そうだ。一番肝心な、この話をしなくちゃ。時系列がちょっと前後しますけど、幼稚園の年中の時、お絵描きの時間にゴールデンウィークの思い出を描く事になったんです」


そして、気だるげな口調のまま唐突に、別のエピソードを語り出す。


「その年、俺は家族と動物園に行きました。もちろん、俺の希望ではなく、兄が母親に『行きたい』とねだったから。そして、いくらなんでも幼児1人を放置して出かける訳にはいかないですからね。そういう時は、俺もオマケで連れて行ってもらえていたんです」


ことごとくお兄さんと差をつけられ、傷付けられて来た吾妻さんの悲しみ、悔しさが、言葉の端々から感じられた。