幸せになるために

また怒られないように、口の中の物をきちんと飲み込んでから兄ちゃんは言葉を発する。


「でもホラ、前にも言ったけど、通勤はグンと楽になるワケだから。多少家賃が希望額より高くなっても職場近くの方が断然良いと思って勧めたんだけど」

「そのアドバイスが効を奏したという訳ね」

「うん…。そこは建物がちょっと古くて、駅からも多少歩くから。それにオートロックって訳じゃないしね。だからそれくらいで済んだんだ」


ワケあり物件で家賃4万円、という情報はあえて伝えていなかった。

兄ちゃんの結婚を控え、お祝いムード漂う家族に『いわくつきの物件に住む』とはすこぶる言いづらいし。

オレは全然気にしてないけど、余計な心配をかけちゃうんじゃないかな~と。

なので「6万円以内で無事契約できたよ」とだけ報告したのだった。

まぁ、ウソではないもんね。

オレももう良い年した大人の男だし、それ以上根掘り葉掘り聞かれたり、過保護に契約書をチェックされたりする事はなく、その話はそこで終わった。

いつかはバレる日が来るかもしれないけど、その頃にはもう生活も落ち着いているだろうし、別の所に引っ越せとは言われないだろう。

とりあえず、今この時期さえ乗り切れればそれで良い、と考えた。

物件選びが無事に終わった所で、ようやく本腰を入れて引っ越しの準備に取りかかる。

あらかじめタンスや押し入れの中を整理して、明らかにもう必要がないと思われる物は捨てておいたんだけど、いざ残した荷物をダンボールに詰め込み始めたら、あっという間に10箱くらいになってしまった。

部屋の中にこれほど大量の物が存在していたなんて、ビックリ仰天である。

しかもこれ、まだ半分しか片付いてない状態。

引っ越し直前まで使わなくちゃいけない物は当然まだ仕舞えないし、何よりダンボールを組み立てるとその分スペースが必要になるので、考えながら荷造りして行かないと。

とりあえずオレの部屋と納戸と、父さんの書斎を間借りさせてもらって分散して置く事に決まったけども。

事前に箱詰めしなくても、引っ越し業者のスタッフさんが当日専用ケースに荷物を詰めてくれるっていうサービスもあるにはあるんだよね。