「哀音――人斬り哀音は桔梗だったんだね。噂で聞いた時から何となく、そうではないかと思っていたけれど。………そっか……平太はだから……」
最後のつぶやきは風の音に消された。
若先生は近づいて正座をすると共に過ごした4年間を思い出させるような笑顔を見せた。
「ずっと、独りだった?」
「……独りでした。でもわたしは、哀音になりきれなかった。
独りのつもりでいたけれど、わたしは独りじゃなかった。たった1人の武士が、わたしを弱くし、強くしました。……若先生」
「いいよ。謝る必要はない。師匠も、僕も。桔梗を縛りつけるつもりはなかったんだ。ただ、生きる為の術が……独りであること、それしかなかっただけ。……大切な人を失ったからこそ独りにこだわった。
桔梗に、生きて欲しくて。そう言った」
頬に触れる手はひどく優しくて、目のふちから涙がこぼれる。
泣かないの、と小さい子をあやすように言って、涙をぬぐってくれる。
「さて。もうそろそろ平太が戻ってくるだろうし、水分とってゆっくり休むんだよ。僕は他の患者さんを診てくるよ」
「若先生。新選組は、どうなっていますか?」
「…大阪城でたてこもっていた徳川慶喜が、江戸に逃げたらしい。もともと圧されていたし、新選組も一度退いて江戸に向かうそうだよ。今はその準備をしていると、風の噂で聞いた。
……桔梗、君の傷はひどくまだ癒えていない。動ける状態じゃないから、安静にしていること」
渋い顔をした哀音に、若先生が枕元にあった三味線を見せる。
「三味線に触れるなら触っておくことくらいは許すけど。………三味線、無事だったよ。
短刀も僕が手入れしておいたから、後で渡すよ。先刻言ったように、僕は桔梗に生きていて欲しい。だからその状態で動くことは許さないよ」
三味線をすぐ傍に置くと立ち、襖を開ける。
すると平太が握り飯と水を持って入ってきた。
若先生の人の気配を感じる力はまだ健在だ。
「平太、桔梗が眠るまで傍にいてあげて。眠ったら僕の元においで」
「はいっ!」
元気良く返事をして、哀音の近くにお盆を置く。若先生はそのまま出ていった。
平太に支えられながら体を起こすと、上着を肩にかけてくれる。柔らかな布は桶に浸した。
水を飲んで一息つくと、差し出されたおにぎりを食べた。
