「……哀音、いるか」
夜、前川が借家の戸の近くで声を発した。言葉を返すと中に入っている。
「どうかしましたか?」
「慶喜公が政権を返上されるとのこと。近々戦が起こるかもしれない。そのつもりでいてくれ」
前川が言った通り、戦は起こった。
慶喜――――徳川慶喜が大政奉還を申し出てから約ふた月後、京都御所の九門をかためて討幕派の岩倉具視(いわくら ともみ)らが朝廷の実権を握って、王政復古の大号令を発した。
将軍職を廃止し、新しい政府が作られるというもので、幕府側の徳川勢は反応を示した。
討幕派は徳川勢に対して、武力を使って挑発した。
そこから起こったのが、鳥羽伏見の戦いと呼ばれる戦だ。
「哀音、行けるか」
「えぇ、行かれます」
幕府側が戦うとなればもちろん新選組も例外ではない。
京都郊外ですでに幕府軍は戦いを始めていると耳にした。前川が来たということは、新選組も動くのであろう。
短刀を懐に、三味線を背にして撥、鈴を巾着に入れて準備を整えていた哀音は、髪を1つにまとめ、"哀音"の格好で借家から出る。
「新選組の動きは?」
「幕府軍に応援に入り、しばらく戦う。哀音はどうする?」
「わたしはわたしで動きます。陣を構える場所だけ教えてください。連絡出来ないと困るので」
すぐに陣を構える場所を教えてもらい、把握する。
この戦がいつもと違うのは、幕府側の人間が少ないということと、相手が"新政府軍"だということ。
皆、変わることを望んでいる。変えようとする新政府軍。変わることに恐れが―――いや、変わらないものを信じ貫きたいという思いを胸に戦う幕府軍。
勝った方に、時代は動くのだろう。
