「先日はお世話になりました」
商家の主人が人混みを目ともしない哀音に声をかけて引き止めた。
声をかけられ一礼をして過ぎようとすると、主人は「冷たいな」とこぼしながら行く手を阻む。
「哀音が出たさかい町で三味線を演奏するんは控えた方がよろしいでっしゃろ」
「何故ですか?」
「そら、殺されるからに決まっとる。また演奏してもらいたいんに死なれたら困りもんや」
「…そうですか、急いでいるので失礼」
顔をしかめた商家の主人をおいて、哀音は足を進めた。
"哀音”が出たからか町はその話をしている人ばかりで、哀音は鬱陶(うっとう)しく感じていた。
はぁ、と思わずこぼれたため息にふと思う。
"哀音”と呼んだのは誰なのか、と。哀音という名の意味を町で耳にしてから自らも哀音と名乗るようになったが、名を呼び始めた人は知らない。
"哀音”となってから3年は経った。もう最初が誰かなんてどうでも良いのだが。
哀音と名付けた人は、きっと哀音の気持ちが理解できる人なのだと。
哀音の叫びを受け止めてくれる人だと。
そう思わずにはいられない。
「私は私の道を進むだけ…」
呟かれた言葉は風にさらわれて、誰の耳にも届かなかった。
