「愛音」
竹刀を手にしながら、前川が寺の方からやってきた。寺の裏にも入口があって、そこからきたらしい。
あの時以来、会うのは2度目。時折抜け出すことは出来ても、毎日のようには勿論出来ない。2週間またはそれ以上に1度会い、情報交換をすることにした。
事が起きれば変わるが、基本は先程したような哀音が屯所近くで音を鳴らし、前川はいれば石をぶつからせて返すという形で合図をとる。
そして前川は周りに稽古に行くと告げてこの寺に来るのだ。竹刀はそのため。
「今日は非番ですか」
「あぁ、刀の手入れをしていた。いつ出ることになるか分からないからな」
「……誰が非番か分かるものはありますか?」
「突然どうした?会う日は一週間後だったはず、何か仕入れた情報でもあるのか」
「気になることがありまして。間者が未だにいるかどうかによって変わりますが」
「何人かは捕まえた。だがまだ潜んでいるだろうという見解が出された」
10番組の男が頭に浮かんだ。
間者は薩長の者が多いと聞いた。すなわち、哀音が手にかけた者達の仲間。
あの男が哀音を睨んだのには仲間を殺された恨みがあるのではないかと考えられる。
とすれば、紐づる式に間者が引き出せるかもしれない。哀音の家族を壊した人物が分かる可能性もなきにしもあらず。
あのように分かり易い人間ばかりであれば、新選組幹部が苦労することもないはずだ。あの男は直に捕まる。あの男を利用出来ればしたいと思いながら、策を成功させる確信はなかった。
「捕まえた者から、情報は聞き出せなかったのですか」
「皆、秘密を守ろうと自害した。刀は取り上げていたが、見回るやつが怠ったのか他の間者が手伝ったのか、薬を使って死んでいた。
間者の情報はほとんど聞き出せなかったのだ」
