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むせるほどの薔薇の匂いを後に、庭を抜ける。門を抜ければ、来たときと同じように鬱蒼と茂る林道へと出た。ハルの言う通り、濃い霧が立ちこめているものの洋館から真っ直ぐに一本道が伸びている。舗装こそされてはいないが、ヒールでも問題なく歩ける程度には整えられていた。
―今、何時だろうか。
腕時計を見れば、なんてタイミングが悪いのか、短針は23時で止まり、秒針はぴたりと止まって時を刻まない。携帯もいつの間にか充電が切れてしまっている。
「…嘘でしょ」
気を失っていたのがどれくらいかは計りかねるが、おそらく終電はもうとうに終わってしまっているに違いない。とりあえずこの林道を抜けたらタクシーをつかまえよう。だいぶメーターは嵩んでしまうだろうけど、この際いくら払ったっていい。それくらい、色々と現実離れしたことが起こって心身共に疲労困憊だった。
大きな仕事も一段落ついたところだったし、この際明日はずる休みでもしてしまおうか。なんて、いつだって考えるだけだ。結局のところ、生真面目な紫織は考えるだけで実行には移さないし、偏った配分でデスクに積まれていく仕事に文句をいいつつも手を抜けない。
それどころか、今までライバル視すらしていなかった同業他社が、ひとりのベストセラー作家を生み出したことで業績をグッと伸ばし、上司は部数を酷く気にして紫織に詰めてくるのに頭を悩ませる毎日だ。
がむしゃらに頑張り続けてきたお陰で、気の抜き方さえ忘れてしまった。
傷つかないように適当にあしらうことが出来ないから、結局は裏切るばかりの恋人からも逃げるという選択肢しかなく、着信拒否をして完全に関係をたつ勇気がないという宙ぶらりんな状況に甘んじている。

