そんな可憐な母も、柔和な父も、もう10年も前に流行り病で他界してしまった。
その時私はまだ十で、寄宿学校にいたから、両親の最期には立ち会えなかったのだ。あの頃まだ赤ちゃんだった妹は、母が病にかかってすぐに親戚に預けたので無事だった。今は、私の卒業した寄宿学校に通っている。
寄宿学校を卒業した後、1年ほど町工場で働いていたけれどやがてこの家に帰ってきてしまった。町工場はさっさと辞めてしまったけれど、私も妹も奨学金で学校へ行っているので、作物の刈り入れ時期にはあちこちへ行って働くし、国中が長い休みになるような時は、少し遠いところの旅館へ働きに行ったりもする。
それでも私は、ここに住みたいのだ。父が作ったテーブルや椅子でご飯を食べたい。窓辺や、部屋のあちこちに置いてある小物は母が選んだものだ。この家にいるだけで、私は、今も両親に会うことができる。
 こうして、逝ってしまった両親のことを考えるとき、堪らずいつも泣いてしまう。もっと、一緒にいたかったよと、悲しくなる。6歳で寄宿学校へ入ったから、両親と共に過ごした時間は、五年にも満たない程なのだ。