黒百合(書籍「恋みち」収録作品)

この足音は聞こえているはずなのに、彼は立ち止まりもせず、玄関へとスタスタ歩いていく。
「だって!」
叫ぶことで、彼の歩を止めることはできた。
「まだ別れてないのでしょう?」
振り返る顔はとても冷たくて、こんな彼を見たことがなかった私は、この恋の終わりを見た気がした。
「……私はずっとここで」
光を失いたくない。
そう思った私は、ずっと抱えていた思いを口にする。
「ここで、あなたを待っているだけじゃない」
私だけを見てほしい。
私だけを愛してほしい。
他の人なんか見ないで、ずっと私のそばにいてほしい。
年甲斐もなくあなたを愛し、待つことしかできない歯がゆさもずっと我慢しているのだから、そんな簡単に終わらせるようなことはしないで……。
心に言葉はたくさんあっても、口から零れるのはほんの一欠けら。
「あなたが来るのを待つばかりで」
目に涙を浮かべる私をジッと見つめていた彼は、ゆっくりこちらへ歩み寄り、この体を優しく抱きしめる。
「私はあなただけなのに、あなたは……」
彼の胸に顔を埋める私は、若い頃に戻ったかのように小さく声をあげながら、頬を濡らしていく。