宇野はバスで大学から20分ほどのところで一人暮らしをしている。合格したと分かってすぐに一人暮らしをすることは決まった。実家からだと大学まで2時間半もかかるからだ。大学に近い学生寮に入ってもよかったのだが、家賃1ヶ月3万円の安さに入居希望者が殺到して入れなかった。寮ほどではなくても安い物件は大学の周りに沢山あった。しかし宇野は隣街の小さいアパートを選んだ。
大学裏の通りは車の交通量が多く、道路のすぐ向こう側にあるバス停に行くのも信号の待ち時間で足止めされる。1日が終わりぼけっと赤信号を眺めていた宇野の耳に、ジャッジャッという自転車を激しく漕ぐ音が飛び込んできた。
「…宇野!だよな⁈」
いきなり自分の名前を呼ばれたら振り向くしかないと思う。でも、振り向いたらこっちに自転車が突進してきているのはセオリー外だ。キキーッとブレーキをならして宇野の目の前で森田の自転車は止まった。
「…っぶねー!」
心臓がバクバクいっている。信号は青になっていたが、驚きのあまりそこからちょっとも動けずにいた。
「ごめん!信号っ、青になったから、行っちゃうかと思ってっ」
つい10分ほど前に宇野が他人認定したこの男は相変わらず人懐こく笑って片手で拝んだ。
「あの…なん、ですか?」
状況がさっぱり分からず、まだ息の荒い森田に恐る恐る訊ねる。
「えっと…LINEやってる?」
「えっ」
LINEとは今時の大学生が友達との連絡に使うチャットサービスのことだ。グループごとに大人数の会話もできることから、サークルの連絡にも便利らしい(ネット情報)。
そりゃ、おれは当然…
「やってない…」
必要が無い。
「そっか、じゃあ携帯のアドレスでいいや。」
なんなんだこいつは、人の連絡先を知ってなにしようっていうんだ、と宇野は完全に警戒し、軽く森田を睨んだ。
「なんで連絡先…」
「えっ、なんでって、実験同んなじペアだし…レポートの情報共有とかしたいじゃん…」
あっ、嫌なら、いいけど…と森田は急に慌てだした。理由を聞かれるとは思っていなかったのだろう。
そりゃそうだ、別に、急に友達になってくれとか、そういうんじゃないんだから、連絡先聞くくらい、普通だよな……逆に警戒したおれが自意識過剰っつー…
ちょっと待って、と宇野は森田に断って尻ポケットに入れていたスマホを取り出して操作し自分のプロフィールを表示させた。不安そうな顔をしていた森田は少し落ち着いたらしく、自転車のスタンドを立てて自分の携帯を取り出した。大学に入ってから連絡先を交換するのは初めてで、でもそれを悟られるのは嫌だったので真顔を意識して正面の森田に画面を向ける。
「えーっと、ちょっと待って…え、どうしよう…」
森田がまた慌てだした理由が分からず首を傾げる。
「これ、書き写したほうがいい?QRコードとか、BUMPとか無い?」
理由がわかって顔に火がついたのがわかった。宇野のスマホは赤外線通信機能がついていない。最後に連絡先を交換したのは浪人時代、まだ赤外線通信機能付きのガラケーを使っていたころで、その機能が無ければ実際に画面を見せるしかないと単純に考えていたのだ。本来なら去年スマホを手に入れてから今まで連絡先を交換したことがない訳がないので、そのためのアプリを使わないのは不自然だった。
「あ、ごめん…その、これ、買ったばっかりで…まだ、そのアプリ…ない…や…ごめん……」
咄嗟に出た嘘はそれらしく聞こえるか不安になる声色で口から出た。友達がいないことを知られたくなかった。きっと、人懐こい性格で友達100人を本当に達成しちゃうようなこの男に、この大学内に拠り所が無い根無し草のような自分の姿を晒すのは苦痛でしかなかった。差し出した黒いスマホの傷が目立たないようにさりげなく指で押さえる。
「あ、なるほどね、ちょっと待って今入力するから。」
森田は宇野の嘘に納得して自分のスマホを操作しだした。時刻は夕方で空に薄っすら赤みが差している。森田は時たまズッと鼻を啜るので、ジャンパーを着てても寒いのかもしれない。ちょっとごめん、と森田の左手が宇野のスマホの角度を調整する。背の高い彼からはよく見えなかったらしい。見やすいようにと持ち直すと傷が露わになった。気付きませんように、と必死になって祈っていたが森田は全く気付かず、視線は自分と宇野のスマホの上を行ったり来たりしていた。
「ん、登録完了。俺のメアドも今送ったから。ごめんな、帰ってる最中に。レポートなんかあったら連絡するかも。これからよろしくな。」
「あ、うん…よろしく…お願い…します…」
「じゃあな!また今度!」
そうして登場した時と同じくらい唐突に、森田は自転車を漕いで去って行った。呆気にとられて去って行った方向を少しの間眺めていた。それからまた視線を赤信号に移す。自分の乗るバスが目の前を通り過ぎたけど、新着メールを知らせるスマホに気を取られ、あまり認識はしていなかった。
大学裏の通りは車の交通量が多く、道路のすぐ向こう側にあるバス停に行くのも信号の待ち時間で足止めされる。1日が終わりぼけっと赤信号を眺めていた宇野の耳に、ジャッジャッという自転車を激しく漕ぐ音が飛び込んできた。
「…宇野!だよな⁈」
いきなり自分の名前を呼ばれたら振り向くしかないと思う。でも、振り向いたらこっちに自転車が突進してきているのはセオリー外だ。キキーッとブレーキをならして宇野の目の前で森田の自転車は止まった。
「…っぶねー!」
心臓がバクバクいっている。信号は青になっていたが、驚きのあまりそこからちょっとも動けずにいた。
「ごめん!信号っ、青になったから、行っちゃうかと思ってっ」
つい10分ほど前に宇野が他人認定したこの男は相変わらず人懐こく笑って片手で拝んだ。
「あの…なん、ですか?」
状況がさっぱり分からず、まだ息の荒い森田に恐る恐る訊ねる。
「えっと…LINEやってる?」
「えっ」
LINEとは今時の大学生が友達との連絡に使うチャットサービスのことだ。グループごとに大人数の会話もできることから、サークルの連絡にも便利らしい(ネット情報)。
そりゃ、おれは当然…
「やってない…」
必要が無い。
「そっか、じゃあ携帯のアドレスでいいや。」
なんなんだこいつは、人の連絡先を知ってなにしようっていうんだ、と宇野は完全に警戒し、軽く森田を睨んだ。
「なんで連絡先…」
「えっ、なんでって、実験同んなじペアだし…レポートの情報共有とかしたいじゃん…」
あっ、嫌なら、いいけど…と森田は急に慌てだした。理由を聞かれるとは思っていなかったのだろう。
そりゃそうだ、別に、急に友達になってくれとか、そういうんじゃないんだから、連絡先聞くくらい、普通だよな……逆に警戒したおれが自意識過剰っつー…
ちょっと待って、と宇野は森田に断って尻ポケットに入れていたスマホを取り出して操作し自分のプロフィールを表示させた。不安そうな顔をしていた森田は少し落ち着いたらしく、自転車のスタンドを立てて自分の携帯を取り出した。大学に入ってから連絡先を交換するのは初めてで、でもそれを悟られるのは嫌だったので真顔を意識して正面の森田に画面を向ける。
「えーっと、ちょっと待って…え、どうしよう…」
森田がまた慌てだした理由が分からず首を傾げる。
「これ、書き写したほうがいい?QRコードとか、BUMPとか無い?」
理由がわかって顔に火がついたのがわかった。宇野のスマホは赤外線通信機能がついていない。最後に連絡先を交換したのは浪人時代、まだ赤外線通信機能付きのガラケーを使っていたころで、その機能が無ければ実際に画面を見せるしかないと単純に考えていたのだ。本来なら去年スマホを手に入れてから今まで連絡先を交換したことがない訳がないので、そのためのアプリを使わないのは不自然だった。
「あ、ごめん…その、これ、買ったばっかりで…まだ、そのアプリ…ない…や…ごめん……」
咄嗟に出た嘘はそれらしく聞こえるか不安になる声色で口から出た。友達がいないことを知られたくなかった。きっと、人懐こい性格で友達100人を本当に達成しちゃうようなこの男に、この大学内に拠り所が無い根無し草のような自分の姿を晒すのは苦痛でしかなかった。差し出した黒いスマホの傷が目立たないようにさりげなく指で押さえる。
「あ、なるほどね、ちょっと待って今入力するから。」
森田は宇野の嘘に納得して自分のスマホを操作しだした。時刻は夕方で空に薄っすら赤みが差している。森田は時たまズッと鼻を啜るので、ジャンパーを着てても寒いのかもしれない。ちょっとごめん、と森田の左手が宇野のスマホの角度を調整する。背の高い彼からはよく見えなかったらしい。見やすいようにと持ち直すと傷が露わになった。気付きませんように、と必死になって祈っていたが森田は全く気付かず、視線は自分と宇野のスマホの上を行ったり来たりしていた。
「ん、登録完了。俺のメアドも今送ったから。ごめんな、帰ってる最中に。レポートなんかあったら連絡するかも。これからよろしくな。」
「あ、うん…よろしく…お願い…します…」
「じゃあな!また今度!」
そうして登場した時と同じくらい唐突に、森田は自転車を漕いで去って行った。呆気にとられて去って行った方向を少しの間眺めていた。それからまた視線を赤信号に移す。自分の乗るバスが目の前を通り過ぎたけど、新着メールを知らせるスマホに気を取られ、あまり認識はしていなかった。
