さっきのぶつかるような衝突感はなく、唇の柔らかさ・温かさが伝わってくる。
何が起こったのか分からない、頭の中が整理できない。
瞳が開いているのに何も見えなくて呼吸が止まったままになる。

そして唇が優しく離れた瞬間、我に返って健吾の肩を突き飛ばして顔も見ず向かいの席にあるコートとバッグを掴んでその場から逃げた。

とてもじゃないけど健吾の顔なんて見られない。
お店から出る時おばちゃんに声をかけることもできなかった、一刻も早くこの場から逃げたくて。
震える手でドアを開けて外に出た。
息が切れるくらい早足で歩いて、震える左手でこめかみを押さえて気持ちを落ち着かせ一生懸命考える。

何だったの・・・今のは・・何で?・・・どうしたの健吾・・・キスしたの?健吾が・・私と?

寝ていたから寝ぼけていたの?それとも酔っていて私だって分からなかった?間違えたってこと?・・・伊東さんと・・・

うん・・健吾が私にキスするなんてありえない・・・そっか・・伊東さんと間違えたのか・・・

あんなに早足だったのに考えが辿り着いたら歩く速度も落ちてトボトボ歩きになった。
ひどいよ・・・健吾、伊東さんと間違えるなんて・・・「行くなよ」って寝ぼけて言うほど伊東さんを彼氏のとこに行かせたくないってこと?

「バカだよ・・健吾」

つい声に出てしまう。
悩んで酔っ払って間違って私にキスするなんて・・・ひどいよ健吾。

私だと思っていないのだから、なかったことにしないといけないよね・・・。

大好きな人とのキスを忘れなきゃいけないと思ったら涙が溢れて頬を伝った。

「あれはキスじゃない・・・バカ健吾」

涙をぬぐって目の前に見えた駅に向かって歩いた。

また月曜日になれば健吾の前で笑わなければいけない、寝ぼけていて健吾は何も知らないのだから。
キスした相手が私だったってこと知らないのだから。

唇を噛み締めながら自分を納得させようと、小さくうんうんと頷いて落ちる涙と一緒に心に落した。