東郷先輩は、あたしの言葉に本気で慌てふためいた。
あたしは初めて自分のペースに彼を巻き込み、小さな満足を得る。
いい気味だ。
「じゃ、失礼します」
あたしは大げさに頭を下げて、そそくさと教室を後にした。
その次の瞬間、背後で大きな笑いが起こる。
「東郷歩が初めてフラれたぞ!」なんて言っているのが聞こえてきた。
もう、勝手にして。
ここへも二度と来ないだろう。
「あ」
けれどあたしはすぐに足を止めた。
鳴海先輩にお礼を言ってくるのを、忘れてしまった。
でも、今から戻っても途中でチャイムが鳴ってしまう時間だ。
この辞書も、雄平に貸さなければならないし。
次に会うことがあればその時に必ずお礼を言おうと決めて、あたしは階段の手すりに手をかけた。
けれど、背中にぶつけられた声に驚き、再び足が止まった。
「何で東郷先輩が杏奈の辞書持ってんの?」



