現在の後楽園(東京ドームシティアトラクションズ)では、私たちのような馬鹿が大変多くなった事も踏まえて、いろいろな対策を講じているようだ。

特に、真ん前を陣取らせないよう、子供優先席にしているときく。

昨今、特撮に出演したイケメン俳優さん達が、若い女性やお母さん方にも大人気だから、私たちの時代のように、のんびりと(?!)アクションショーを観覧するのは難しいらしい。

しかし、人気が出て、注目されるのは、特撮界にとってもいい事だ。

元々、スピルバーグやルーカスも日本の特撮にかなり影響された。

日本のTVや映画もそんな特撮界をもっと注目して貰えるとよいと思う。


さて、後楽園が東京ドームシティになる前に、野外劇場のFCは、休会となったようだ。

しかし、総統と一緒に活動していたMさんは、かのTくんと共に、造形にも手を広げ、自分達で作ったヒーローの頭部を見せて貰った。

まだ、フィギュアの技術が一般的ではなかったので、段ボールとヘルメットで作ったものだったが、なかなかよく出来ていた事を覚えいる。

更に彼らは一時、後楽園遊園地などのアトラクションの司会や全国で行われる着ぐるみショーをする会社にアルバイトをしていたときく。

この全国のスーパー等を巡る着ぐるみ興行も大変な仕事である。

後楽園遊園地は、JACと契約しているのでアクションや裏方など、役割分担されたのスタッフも十分である。

しかし、全国のスーパー等を巡る、着ぐるみショー興行会社は、限られた予算とスタッフでしなければならないらしいから、大変である。

悪の親玉役の格好のまま、怪人の声や音響の調節をしたり、戦闘員役からすぐに黄色や緑の正義の味方に早変わりしたり、とにかく一人何役もこなすのである。

ショーの間、心ない子供に、石を投げられたり、後ろのチャックを開けられたりと、困ったこともあるらしいが、子供達の大声援には、いつも感動させらると、嬉しそうに話してくれたMさん達を羨ましく思ったものだ。

後年、自分の子供を連れて、ヒーローショーを見に行く度、よく彼らの事を思い出したものだった。