中学時代、仲のよかったオタ友(オタクの友人)のトキさんとは、真逆の高校へ入学した。

彼女は私と違い、理数系に強く、当時では珍しかったかも知れないが、工業高校の電子科へ入学していた。

その後、コンピュータエンジニアという、現在を見据えたような、ソフト開発の会社に就職している。

私は、一流とは言えないが、(早い話、偏差値の低い)普通科の女子高に入学した。

その後、転職やら、なんやらを繰り返す私とは、対象的な二人の人生である。

そんな訳で、高校入学と同時に、私は家を引越した為、前のように頻繁にトキさんとは会えなくはなったが、相変わらず、オタク度は盛んであった。

その女子高で私は、更にオタク度をエスカレートする事になる。

高校生活のクラブ活動は、当然、運動は苦手なので、文化部に所属した。

下手の横好きの美術部と描けないのにマンガ部に入った。

こう書くとなんだか古臭く、こっぱずかしい表現だが、試験さえ無ければ、一番楽しかった青春時代である。

新入生の頃、2年3年の先輩方の作品を見て、まず、圧倒される。

マンガ部は主に、コマを割ってストーリーを描く、ストーリーマンガ同好会と、テレビで放映されるアニメのアニメ同好会と二つに分けられたが、やはり後者であった私を含め、新入生は大概アニメに籍を置いていたので、先輩方の中には、私達にもストーリーマンガを描かせようと激をとばして後輩指導していものだった。

今では、マンガ製作で使用するスクリーントーンなど、大分安くなっているが、当時はかなり高価だったので、当然、女子高生に買える代物ではない。

なので、大概の人は背景や表情のイメージには、自分で網や縄、点描など、描くのが普通だった。

後は背景など、沢山使うものは、貴重なスクリーントーンをコピーしてそれを貼付けた。

私は同期でも一番下手くそであった。

で、その下手さをなんとか補おうと、美術部でデッサンを勉強したのだが怠け者の性分。

努力という2文字が、体に染み付いていないのでユルイ部活動ではもっと怠けることとなる。

理屈や技法は知っているが、実力が伴わない、いわゆるモノホンのオタクになるわけであった。(爆)