「11番、佐伯ふたばさん」
舞台袖に控えていた私の名前が呼ばれると、裾を踏ん付けないように両手でドレスを少したくし上げて舞台へ足を進める。
小さい頃から何度も立ってきた舞台。舞台上には磨き上げられたグランドピアノが1台だけ。
真ん中にドーン、と置かれたグランドピアノは存在感が圧倒的。
椅子の手前で一礼すると、拍手が起こる。
椅子に腰かけ、高さを調整する。
ライブハウスの時みたいに、目配せする相手もいない。フォローしてくれる相手もいない。
孤独に立つ舞台がこんなにも心細いものだったなんて。
騒ぐ心臓を落ち着かせる為に大きく深呼吸。
ふわりと指を鍵盤の上に置いて力を込めた。
モーツァルトのピアノソナタ8番、第1楽章。最初から悲壮感を感じる曲調。
落ち込んでいる時に聞いたら泣いてしまうかも、ってくらいモーツァルトの苦悩さが曲に反映されている。
モーツァルトは母を亡くした悲しみをこの曲で訴えている、と言われているらしい。
弾きながら私はお腹の中から何かが持ち上がってくるような感覚を覚える。
それは鼻のところで止まり、その奥を熱くする。気持ちが高ぶってきて、体が揺れる。
私はこの曲に感情移入を始めている。
母を亡くしたモーツァルトの気持ちがわかる、とかじゃなくて、このメロディーの雰囲気に共感してる。
悲しいとか、苦しいとか、そういう気持ち。
曲を弾いてる最中だって、ちゃんと弾けてるかな、って不安に感じてる。
小さい頃にはこんなこと全然なかった。
自分の演奏ができれば満足で、入賞とかそんなのどうでもよくて、でも入賞したらお母さんが褒めてくれるし頑張ろうって。
あなたは才能があるから立派なピアニストになれるわね、って言われてその気になってピアノを弾いてた。
でも、今私が鳴らしている音は自分で弾いていて気分が悪い。
嫌だ。
こんな演奏、嫌だ。
賞を取る為だけに演奏するピアノなんて、何の意味があるんだろう。
軽音部に入って、私は楽器を弾く楽しさを思い出して、ピアノを弾いている時とギターを弾いている時のギャップに気付いてしまった。
苦しい。ピアノを弾いていることが、辛い。

