「あ、ヤバイ!あたし、数学の宿題やってないや」
何をきっかけに思い出したのか、咲綺ちゃんは背筋を伸ばして周りを見回す。
レーダーでも向けて反応を待っているかのように、何度か教室を見回した後、ぐったりと項垂れた。
「みんな出て行っちゃってるんだもんなー・・・。望みは薄いけど・・・カズー!」
斜め前で突っ伏している大きな背中に声をかける咲綺ちゃん。
咲綺ちゃんが呼んだことで、前にある山がカズ君だったことを知った。
カズ君と言えば、最初に軽音部を訪れた時に怒鳴っていた印象しか無い。
だから、咲綺ちゃんがカズ君を呼んだ時、私は思わず身構えた。
「無視か、こらカズ!」
熟睡しているのか、カズ君はピクリとも動かなかった。
苛立ちながらさっきよりも音量を上げるともそり、と山が動く。
寝起きは機嫌が悪いタイプなのか、元々の目つきが悪いせいか、カズ君は首だけをこちらに向けて睨み付けた。
「ぁんだよ」
「宿題やった?」
「やってねぇよ。お前は?」
「やってないから聞いてるんでしょー。望み薄だったから仕方ないかー」
「仕方ないってなんだ。ムカつくな」
カズ君は眉根を寄せて体ごとこちらに向けた。
やっぱり、怖いなこの人。
咲綺ちゃんとの乱闘騒ぎを思い出して冷や冷やしたが今回は何も起こらずほっとした。
「やっばー。宿題忘れると出席簿の角を振り下ろすんだよなぁ、あの先生。体罰にうるさい今の時代、果敢に攻めてくるのよね。あれ、痛いんだよなー」
宿題を忘れた生徒を前に呼んで、並ばせて順番に出席簿の角を頭にごん、としているのを見たことはある。
振り下ろすスピードはそんなに速くないから加減していることはわかるが、あれは見た目以上に痛いらしい。
「あ、私で良ければ見るよ、宿題。これでも数学は得意」
「えー!?ほんとにー?神様仏様ふたば様!あ、宿題これね」
鞄から名前も書いていないプリントを机に出してきた。
計算式を視界に入れると、ガガッと床に椅子を引きずる音が聞こえ、机に影を落とす。
視線を上げると、カズ君が自分の真っ白なプリントを持ち、シャープペンを持ってスタンバイしている。