カノン



家に帰ると、レッスン部屋で妹のピアノレッスンをしていた母が振り向きもせずに、半開きのドアから「おかえり」と言ったので一応返事をした。


「華のレッスン、あと30分くらいで終わるから着替えたら下りてきなさい」

「うん、わかった」


部屋から顔を出した母と短い会話を終えた後、階段を上がって自分の部屋のドアを閉めた。


妹が奏でるブルグミュラーの練習曲「素直な心」が閉ざした部屋の中に微かに流れ込む。

妹の華は才能を開花させつつあり、ピアノのコンクールでも上位入賞するようになった。

そのせいか母の熱の入りようが一段と増した。


反対に私の方の最近の成績は酷いもので、それも熱が入る要因の一つだと思う。

学校で居場所が無い私にとってピアノだけが私の存在意義なのに、そのピアノすら上手くできない私は何の為に存在しているのかわからない。





セーラー服をハンガーにかけるとiPodから伸びるイヤホンを耳にさし、ベットに腰かけた。


中学の時から何度聴いたかわからない、イギリスのロックバンド、スターリンクのデビュー曲。

私の生まれる前の曲でバンド自体は既に解散してしまっているが、私がロックバンドに魅了されるきっかけとなった思い出の曲。

初めに入るギターの速弾きは誰の心も鷲掴みにする。

徐々にベースとドラムがギターと一体化していき、激しくメロディーを奏でる。


そして、女性ボーカルの澄んだ声は激しい音の中でもしっかりと聴き取ることができる。

だからと言って歌だけが浮いているわけじゃなく、声すらも一体化し、1つのメロディーを奏でる。


やっぱり今日聴いた声に似ていた。

スターリンクのギタリスト、エドを真似てエアーギターのコードを握ってみる。

目を閉じると、まるで私自身がスターリンクの一員になったかのように思うことができる。


中学の時に近所に住んでいたロック好きの高校生が公園でスターリンクの曲を弾いているのを見つけてからはピアノレッスンが無い日には必ず公園に立ち寄って聴いていた。


高校生の男の子は私にギターを持たせてくれ、コードを教えてくれ、大好きだったスターリンクの曲を弾けるようにと教えてくれた。



クラシック以外の音楽を毛嫌いする母の下ではギターの練習をすることは不可能だったから、こうして曲を聴きながら見えない弦を弾き、公園でギターを借りて楽しんでいた。


それからすぐに高校生は引っ越してしまったので、それからはギターに触ることすらしていない。


それでも、ギターの弦に触れる感触を思い出すと気持ちが弾む。


「ふたばー!レッスン始めるわよ!」

階下から呼ばれ、突然現実に引き戻された。

返事をし、名残惜しみながら曲の途中でiPodの電源を落とした。