カノン



棗君は鞄から黒く四角い物を取り出した。

今見ることは無いけれど、携帯が普及する前に連絡手段として使われていたというポケベルみたいな形をしている。

「これがチューナー。これで音合わせるから、ギター出せ」

慌ててケースからギターを取り出して両手で差し出した。

「シールドでギターとチューナーを繋いで一弦ずつ音を出す。この針が真ん中に来るまでナットをどっちかに回す。これだけ。わかったか」

数回頷いてギターを受け取り、早速弦を弾いてみた。

チューナーの針は真ん中よりもズレていたのでナットを回し、張りを強くしてみた。

六弦共チューニングを終えると椅子に座ってギターを弾いていた棗君が立ち上がった。


「時間がねぇからとりあえず最後まで合わす。その後、修正する。いいな?」

マイクスタンドに付いたマイクの上に片手を預けながら咲綺ちゃんが頷く。

スティックを持った手を掲げた馨君が口の端を持ち上げる。

心臓が激しく胸を叩いている。緊張のせいで指先が冷たくなっていくのを感じる。


それでも、どこかワクワクした。

馨君がスティックを持ち上げたのを視界の隅に捉え、ピックを持つ指に力を込めた。


シンバルが激しく叩かれ曲がスタート。

すぐにギターとベースパートが入り、三つの楽器が共鳴を始める。


ギターは簡単なコードばかりで、次のコードまで余裕があるからコードチェンジが遅い私でもなんとかついていける。

前奏の部分が終わると咲綺ちゃんの歌声が加わり、更に音楽が深みを増す。

咲綺ちゃんの声は狭いスタジオを震わせる。


腹から、というより地面から空気を吸い込んで声を出しているような感じ。

この部屋の空気全てが咲綺ちゃんの物かのよう。巻き込んで全部声に変えているくらいの勢いさえ感じた。


この日までに完璧にしてくると言っていた馨君のドラムは私の耳には完璧に聞こえた。

叩く強さもスピードもそうだが、馨君はペースを自在に操る。

サビの部分で私が遅れると馨君が少しペースを緩めてくれる。それも自然に。

ペースが変わると咲綺ちゃんも棗君もそれに直様対応する。

演奏から一人飛び出してしまいそうな程の存在感を放つ咲綺ちゃんの歌を演奏としてまとめているのも馨君のドラムが全体を包み込んでいるからだと実感した。