カノン



練習用にスタジオをとったという馨君の連絡を受け、私と咲綺ちゃんはそのスタジオがあるビルを見上げていた。


高校生に良心的な価格で練習に良く使っている、と言っていただけあって咲綺ちゃんは大通りに面さないこの場所に迷うことなくすんなり辿り着いた。


因みに、私は駅を出てからの道順をほとんど覚えることができなかった。


「ごめんね、駅から遠いでしょ、ここ」

駅から徒歩十五分。

歩けない距離ではないが楽器を担ぎながらだと、もう少しかかったような気もする。

「ここね、馨のお姉さんの紹介なんだ。ほら、馨はドラムの練習もスタジオでやるって言ってたでしょ?高校生にはスタジオ借りるお金もばかにならないんだよね」

「馨君のお姉さんもバンドやってる人なの?」

「学生時代はやってたって聞いたことがある。でも、今はやめて音楽雑誌の記者やってるよ。だからか、ここはいいとか、ここはダメとか、スタジオの情報も良く知ってる。近くにライブハウスもあるから、この辺良く来てたんだって」


言いながら階段を上がり、三階まで辿り着くとガラス貼りの観音扉の片方を押し開けた。

「麻生さん、こんにちはー」

フロントと思わしきカウンターの前で雑誌を読んでいたのは黒縁眼鏡をつけ、鼻の下と顎に整えた髭を生やしている二十代後半くらいの男性。


咲綺ちゃんはその人を麻生さん、と呼んで手を上げると麻生さんもそれに答えた。

「初めて見る子だね」

私に視線を向け、こんにちは、と笑顔が向けられたので、ぺこっと頭を小さく下げた。


ワイルドな印象だが、その笑顔は目尻に皺を浮かべ、子供のように笑う人だと思った。


「ふたばっていうの。最近入部したんだー」

「カズ君ぶりだね、新入部員は。何か月前だっけ?」

「それは言わないで、麻生さん・・・」

麻生さんが首を傾げると咲綺ちゃんは溜息混じりにカズ君が軽音部に来なくなった経緯を語った。


「ここに来てた時も何度か口喧嘩してたよね。まあ、仕方ないよ。気の合わない性格っていうのは無理やり合わせても反発するだけだ」

「棗の場合、気の合わない性格っていう範囲が広すぎるんだよね」

顔を歪ませ、大きく溜息をつく咲綺ちゃんを見て麻生さんはまた屈託ない笑顔を見せた。