棗君の持って来た曲はどのパートもシンプルで譜面に白い余白が多く見られた。
過去に練習した曲だからか棗君は難なく譜面通りにベースパートを弾いてみせる。
ベースパートには一部技術を要する箇所もあったが、棗君は既にマスターしていて問題なさそうだ。
咲綺ちゃんもその歌自体は知っていたようで、歌詞を見ながらアカペラで唄い終え、私は思わず拍手をした。
「やっぱりすごいね、咲綺ちゃんは。綺麗な声ー」
初めて聴いた時のように澄んだ声は音楽準備室を飲み込んだ。
歌詞に爽やかな印象を覚える為か、狭く小汚い音楽準備室に青空と草原が見えた。
「ううん、まだダメ。音が取りにくい。音の高低差が激しいよ、この曲」
「一曲しかやらねぇんだから地味な曲より派手な曲の方がインパクトあるだろうと思ったけど、演奏が簡単ってなると派手さを出すのは難しい」
「それで、歌で盛り上げようってこと。馨よりあたしが猛特訓しなきゃならないじゃないの。ほんと、棗は容赦ないよ」
「できねぇの?」
挑発するように棗君の口角が上がると、咲綺ちゃんはムッとして口を尖らせた。
「まさか。むしろ光栄だね。この曲を唄ってる人自体が歌姫って呼ばれるボーカルだもの。そんな曲を棗があたしに任せてくれるなんて、あたしに対する棗の評価もなかなかってことでしょ」
にやり、と咲綺ちゃんが負けじと含み笑いを浮かべると、棗君は鼻で笑った。
「うちの部は自惚れ女ばかりだな」
棗君の表情がいつもよりも和らぐ。
咲綺ちゃんはそれを見て満足そうに笑い、再び歌詞に目を落とした。
咲綺ちゃんと棗君には私には測ることのできない信頼関係があるように思えた。
咲綺ちゃんならこれくらいやれる、という棗君の信頼。
そして、昨日の宣言通り個人練習を行っているのか顔を出さない馨君とも確かな信頼関係を築いているに違いない。
三人にあるような信頼関係を持ったことのない私にはそれが羨ましくて仕方がない。
「ボーッとしてんじゃねぇぞ、自惚れ2。結局昨日ギター持って帰ってねぇだろ。真面目に練習しろよ、不安要素」
「が、頑張ってみる」
私がちゃんとこの曲を弾けるようになったら、私にも三人みたいな関係が作れるかな。
友達とか仲間とかそういう物はいつも、私の手の届かないところにあったから諦めていた。
でも、今は目の前に、掴めそうな場所にある。
私は、この手を伸ばしてみたくなった。

