カノン



「棗・・・?」


後ろから遠慮がちに呼ぶ声で私達は振り向いた。


黒いスーツを着た男性はすらりと伸びた手足がモデルのようで、顔の皺などから40代以上であることは窺えたけど、中年と言うには似つかわしくない出で立ちだった。


首元までしっかりと付けられたシャツにも皺が一つも残っていなくて、彼の几帳面さも窺えた。


「棗だろう?」


再び確認した彼の声を良く聞くと、棗君の声と似ているし、皺を蓄えていてわかりづらかったけど、整った顔立ちは棗君のそれとも良く似ていた。


もしや、と思って棗君を見ると、眉間に皺を寄せて目の前の男と対峙している。


「あんたかよ。命日の度に花を添えてたの」


男が手にしている棗君が買ったものよりも大きな花束。


「あんたにその花を添える資格はねぇよ。さっさと帰れ」


久しぶりに棗君の負のオーラを強く感じ、そのオーラにあてられた私の方も身震いしてしまった。


吐き捨てるような言葉は冷たく、鋭い刃物を突き刺すようだった。



「一度、話したいと思っていた」


「俺の方には話すことはねぇよ」


「誤解を解かせてほしい」


「言い訳の間違いじゃねぇの?」


棗君は鼻で笑うと、一向に帰ろうとしない目の前の男に痺れを切らしたのか「行くぞ」と足早に歩き出した。


「待ってくれ。本当に誤解なんだ。私は彼女を捨てたりしていない」


すれ違い様に男はすがるように叫ぶと、棗君もぴたり、と足を止めた。


「少しでいい。時間をくれ」


男はまた近づいて来て、頭を下げた。


「棗君。私は先に帰るね。だから・・・」

お父さんと話した方がいいよ。


続きの言葉を言うには躊躇われた。

確信はあったけど、棗君がこの男の人を父親と認めていないような気がしたからあえて口にしなかった。


「じゃあ、また学校で」


棗君とあの男の人を2人にすることが最善なのかは正直わからなかった。


でも、棗君が踏み出したくても踏み出せない状況でいることは棗君が立ち止まった瞬間に伝わって来た。


だったら、私は棗君の背中を押す役目を担おうと思った。


前に棗君は言った。


時間が解決してくれないこともある、と。


解決できなかったこどが父親とのことだとわからないけれど、もしそうだとしたら、棗君は解決することを少なからず望んでいたはずだ。


そして、そのチャンスが正に今だ。