「ご、ごめんね」
髪を軽く乾かして戻って来た棗君は案の定不機嫌で、そのままの状態でサンダルをつっかけた。
私はTシャツとジャージにローファーという違和感のある格好でついて行った。
あぁ、せめて、棗君が髪を乾かしているうちに制服に着替え直してくるんだったな、と後悔する。
無言が辛すぎて、必死に話題を取り繕う。
「し、知らなかったなー、バイトしてること。みんなは知ってる?」
「さぁ、言ったことねぇな」
「何で?」
「言うタイミング逃してるだけ」
やっぱり棗君の歩幅に合わせるのは大変で、その上ずり下がってくるジャージを抑えるので必死だ。
棗君がちらり、と後ろに目をやると、溜息を吐いて歩くスピードを緩めてくれた。
「何、話した?」
「え?」
「婆ちゃんと何か喋ってただろ」
「家出して来たこと気付かれて、お母さんと喧嘩したって話した」
母に自分の子供じゃない、と言われてしまった以上、私が戻る場所はもうあそこには無いのかもしれない。
突発的な喧嘩じゃないかもしれない、と考えると涙が出そうになった。
堪え切れなくなってきて唇を噛むと、額を叩かれた。
「え!?な、何!?」
「蚊がいた」
「蚊!?だからって叩かなくても」
結構、痛かったんですけど。
額を抑えながら、棗君に着いて行く。
びっくりしたおかげで涙は引っ込んだけれども。
「私、お母さんに軽音部に入ってることずっと内緒にしてたの」
自分から話始めると、棗君が少しだけ顔をこちらに向ける。
「今日、そのことをお母さんに打ち明けたら、自分の子供じゃないから出て行けって言われたんだ」
ピアノに関しては厳しくて、嫌だった時もたくさんあったけど、嘘をついて遅く帰ってきた日でもご飯が必ず用意されていたな、とか考えるとまた寂しくなってきた。
「時間がかかってもいいから、わかってもらえたらいいなって思ってたんだけどな・・・」
本当に、私はもうあの家に戻れないんだろうか。
「そう思うなら、早いうちに戻った方がいいと思うけどな」
「あ、それ。お婆さんが言ってたのと同じ」
「余計なことを」
棗君は眉間に皺を寄せ、低く呟いて舌打ちをした。
「何?何かあるの?」
「何でもねぇよ。時間が解決しないこともあるってことだよ。一般論でな!」
な、何で怒ってるの?
最後を強調し、棗君はまた歩くスピードを早めた。
「で、でも、自分の居場所があるかわからないんだよ?」
小走りで追いかけて、話が途切れたせいでお婆さんには訊けなかったことを代わりに棗君に訊ねた。
「わからないくらいなら、まだいいじゃねぇか」
棗君が小さく鼻で笑うと、それが酷く切ない響きに聞こえた。
棗君とお婆さんが同じようなことを言うのはただ単に血が繋がっているだけじゃないのかもしれない、と思った。
2人は何か経験を元にして話している?
それは、私が今いる状況によく似た経験なんだと思う。
棗君は居場所が無いことを確信してしまったことがあるの?
そう言えば、前にお父さんはいないと言っていた。
そしてお婆さんと2人で暮らしていて、お母さんがどうしているのかまではわからなかった。
棗君の私生活には私がまだ知らない深い闇が眠っているように思えた。

