1時間くらいして、私服姿で現れた棗君が私の前に立った。
棗君のエプロン姿、似合ってはいなかったけどあれはあれでカッコ良かったかな、と棗君の顔を見上げていた。
「何、ボケッと見てんだ。行くぞ」
慌ててゴミを捨て、今にも店を出ようとする棗君を小走りで追いかける。
電車に乗って、棗君が「ここ」と降りた駅は閑散としていて、辛うじて暗闇を照らすのはぽつぽつと申し分程度に備え付けられた街頭だけ。
駅前で待ち構えているタクシーも1台しかなくて、歩き出しても人の姿すら見えなかった。
住民が寝静まるにはまだ早いように思う。
棗君の家は細い道に入るものの、駅から割と近い3階建ての年季の入ったアパートだった。
1階の角部屋で立ち止まり、鍵を開けて中に入って行ったので私も続く。
玄関を開けた瞬間に漏れ出た光が私を身構えさせる。
棗君のお友達の佐伯と申します。
予行練習はバッチリだ。
玄関があってすぐに台所、その奥に部屋があり、そこがリビングで両端には扉の閉まった部屋が1つずつ。
「あら、お友達?」
テレビを見ていた丸まった背中がこちらを振り向き、「こんばんは」と皺が刻まれた顔にふんわりとした笑顔を浮かべた。
「こ、こんばんはっ。佐伯ふたばと申します」
驚いてしまって、予行練習とは少し変わってしまったが、なんとか挨拶をして頭を下げた。
「婆ちゃん悪ぃけど、今日、こいつ泊めるから」
「まぁまぁ、馨君と咲綺ちゃん以外にも友達ができたのねぇ」
棗君のお婆さんは「よいしょ」と掛け声と共に立ち上がって、テレビ側にある部屋に入って行った。
「棗君ってお婆さんと暮らしてるの?」
「あぁ」
「棗君のお婆さん?」
「は?」
「ううん、何でもない」
お婆さんが醸し出す雰囲気は柔らかく穏やかなオーラで、テレビの「第一町人発見」で出てくるような感じ。
棗君とは似ても似つかないように見える。
「こっちの棗の部屋を使いなさい。着替えも用意しておいたからね」
お婆さんは隣の部屋から出てくると、私をその部屋へと促した。
「すみません」
棗君の部屋、と聞いてドキドキしながらそろりと部屋へ入る。
ベットと本棚、その横に立てかけられたギターとベース入りのケース、棗君が通学鞄としていつも持っている鞄しかない、寂しい部屋だと思った。
ベットの上には棗君のであろう、Tシャツとジャージが綺麗に畳まれて置かれていた。
引き戸を閉めて制服を脱ぎ、ジャージに着替えさせてもらった。
Tシャツは肘を隠すくらいまであったし、ジャージは何回かまくってやらないと裾を踏んで転びそうになった。
洗剤の匂いがして、妙にドキドキしてしまう。
ゆっくり引き戸を開けると、私が入ってきた時とは変わらず、お婆さんがお茶を飲みながらテレビを鑑賞しているところだった。
「あの、棗君は・・・」
「風呂に入ってるよ。ふたばちゃんも次に入りなさい」
「い、いえ、私は別に!」
泊めてもらっておこがましいし、自分の着替えも無いし、そもそも棗君が入った後に入るなんて顔から火が出る。
「立ったままじゃ、疲れるでしょう?座りなさいよ」
お婆さんは自分が背もたれにしているソファを叩いた。
遠慮がちにソファに座ると、お婆さんは「すまないねぇ」と謝った。
「乱暴な孫だけど、これからも仲良くしてやってくださいねぇ」
「あ、こ、こちらこそ」
私はソファから滑り降りように、床に慌てて正座して頭を下げた。
「ふたばちゃんも部活が一緒かい?」
「は、はい」
「そうかそうか。あの子は他のことには興味はからっきしだが、ばんどって奴には熱中してるみたいだねぇ」
「とっても上手ですよ」
「そうかそうか。私も一度聞いてみたいけど、棗が嫌がるんだ」
「それじゃあ、文化祭に来てみてはどうですかね?」
「学校のかい?」
「私達、文化祭で演奏するので。是非見に来て下さい」
日付を教えると、お婆さんは喜んでいた。
「棗には内緒にしておいてくれよ?」
「わかりました」
私が唇に人差し指を当てると、お婆さんも真似た。
本当に棗君に似ても似つかない、可愛らしいお婆さんだな。

