オドが幹雄の死に気づいた時、土間にはまだ温かい蒸し焼きの馬鈴薯が転がっていたという。

そこから、事件が起こってから然程時間は経っていないと思われた。

実は事件直後、村人の一人が太田家の窓側を通る農道を馬に乗って通り過ぎていた。

彼は家から森に続く何かを引きずった痕跡と血の線に気づいたが、マタギが獲物を山から下ろし、太田家で休んでいるものと思い、その時は特に騒ぎ立てなかった。

これらから、事件は午前10時半頃に起こったと推測された。

事件の報に村は大騒動となった。

しかし、12月の北海道は陽が傾くのも早く、幹雄の遺体を居間に安置した頃には午後3時を過ぎ、この日に打てる手は少なかった。