ヒグマを仕留めた山本 兵吉はその後もマタギとして山野を駆け回り、1950年に92歳で亡くなった。

彼の孫によると、生涯で倒したヒグマは300頭を超えるという。

三毛別村村長の息子・大川 春義(当時7歳)は、その後、名うてのヒグマ撃ちとなった。

これは、犠牲者一人につき10頭のヒグマを仕留めるという誓いによるもので、62年をかけ102頭を数えた所で引退し、亡くなった村人を鎮魂する『熊害慰霊碑』を建立したという。





この大惨事は後に『三毛別羆事件』と呼ばれ、日本史上最大規模の獣害事件として語り継がれている…。