事件は解決しても、村人に心理的恐怖を残した。

村外を頼れる者は早々に六線沢を去ったが、多くはそのようなツテを持っていなかった。

壊された家屋を修理し、荒らされた夜具や衣類の代わりに火に当たりながら、何とか越冬した。

しかし春になっても村人は気力を取り戻せず、太田 三郎は家を焼き払って羽幌へ去った。

その後、一人また一人と村を去り、下流の辻家を除いて最終的に集落は無人の地に帰した。