頭部に傷を負いながらも気丈な姿を見せたヤヨは順調に回復したが、背負われたまま噛みつかれた明景 梅吉は、その後遺症に苦しみつつ2年8ヶ月後に死亡した。

この少年を含め事件の死者を8人とする事もある。

同じ家でヒグマの襲撃から生還した明景 勇次郎は事件の27年後に太平洋戦争で戦死した。

オドも回復し翌春には仕事に戻ったが、帰宅時に川に転落して死亡した。

ヒグマに受けた傷が影響したのかは定かではない。