猛吹雪に、5キロの下り道を一時間半かけてヒグマの死骸は三毛別青年会館に運ばれた。

その姿を前に、雨竜郡から来たアイヌの夫婦は、このヒグマが数日前に雨竜で女を食害した獣だと語り、証拠に腹の中から赤い肌着の切れ端が出ると言った。

あるマタギは、旭川でやはり女を食ったヒグマならば肉色の脚絆が見つかると言った。

山本 兵吉は、このヒグマが天塩で飯場の女を食い殺し三人のマタギに追われていた奴に違いないと述べた。

解剖が始まり胃を開くと、中から赤い布、肉色の脚絆、そして阿部 マユが着用していたぶどう色の脚絆が絡んだ頭髪と共に見つかり、皆は悲しみを新たにした。

犠牲者の供養の為に肉は煮て食べられたが、硬くて筋が多く、味は良くなかったという。

皮は板貼りされて乾燥させる為、長い間さらされた。

その後肝などと共に50円(当時の金額)で売却されたが、この金は討伐隊から被害者に贈られた。

この毛皮や、同じく残された頭蓋骨は後に全て失われ、今に伝わっていない。