六線沢ヒグマ出没の連絡は北海道庁にもたらされ、北海道庁警察部保安課から羽幌分署長の菅 貢(階級は警部)に討伐隊の組織が指示された。

一方、死亡者の検死の為に馬橇で一足早く現地に乗り込んだ医師は、正午頃山道でヒグマの糞を発見した。

それを検分し中から人骨や髪の毛また未消化の人肉を見つけると、医師は戦慄に立ち竦んだという。

菅警部は近隣の青年会や消防団または志願の若者やアイヌ達にも協力を仰ぎ、村田銃や刃物類など、中には日本刀を携えた者を含め、多くの人員が三毛別に集まった。

副隊長には土地勘がある帝室林野局(現在の林野庁)の人物を置き、隊長の菅警部は要所を固める一方、討伐隊を差し向けた。

しかし、林野に上手く紛れるヒグマの姿を捕らえる事はできなかった。