そんな毎日が辛かった。でも誰にも相談できなかった。

耐えている毎日が辛く耐え切れなくなった時

私は初めてリストカットをした。最初は痛かったでもなぜか血を見ていたら

落ち着いた。依存したようにリストカットをやめることができなくなった。

「産まんかったらよかった」一度だけそう言われた。

辛かった、悲しかった。でもリスカをするとそんな気持ちは忘れられた。

生きてていいんだって一瞬だけど思えた。

そんなことが続く日々の中リスカのことが友だちにバレて

一人の子に机に落書きをされるようになった

最初はあんまり気にしていなかったけど、だんだんひどい落書きになっていった

もう家にも学校にも私の居場所はなかった

それでも学校には行った

部活があったから・・・

吹奏楽が私は大好きだった

でも学校も家も辛くて、部活ももう諦めようかなと思った

そんな気持ちに気づいてくれたのは先生達だった

担任の先生に学校で辛いこと、親と上手くいかなくなったこと

を話した。

学校でのことはなくなったけれど

家ではまだ辛かった。

先生は「そんなに辛いなら児童養護施設に行く方法もある」と言った

すごく悩んだ。

どの選択も私には辛かった。

私は吹奏楽を今の学校で続けたいから

行かないとゆう選択肢を選んだ。