「ただいま!」
「お帰り!我が息子よ」
 父親である鬼瓦がすっ飛んで出迎えた。家の中にいるのにカウボーイハットを被っていた。鬼瓦は帽子が好きだ。帽子なくしては生きてはいけない。なぜならスキンヘッドだからだ。脱毛の域に入っている。
「なあ、オヤジ!」と高円寺は阿佐ヶ谷の身に起きている現象を話した。うろ覚えだが、何度か鬼瓦が怪異についての話をしていたのを思い出したからだ。
 高円寺と鬼瓦は居間の中央に居座った。周りは金庫やシリンダー錠やクレセント錠、さらには門扉の錠で囲まれている。鉄くさく、黴臭い。それが高円寺の家である。
「お前もその時が来たか」
 鬼瓦はカウボーイハットを取り、手近にあったタオルで頭を吹き上げる。
「なんか知ってるの?」
「知ってるもなにも、そりゃあ怪異の一種、脳蚤だな」
 と誇らしげに鬼瓦を腕を組む。
「のうのみ?」
 ああ、と鬼瓦は頷き遠くを見つめる。「俺らが一般的に知ってる蚤は動物に寄生する。もちろん人にだって寄生する。蚊と同じように血を吸う。だがな、この怪異は感情を吸い取る。絶滅したと思ったんだがな」
「どういうこと?」
 高円寺は鬼瓦の含みを持たせた言い方に疑問を呈した。
「いやな。脳蚤は感情を吸い取る。感情を吸い取る、ということは彼女本人に忘れたい、または消したい、という過去があるからなんだ。平和な世の中には出ない怪異だと思ったが、血を流さない世の中になったとはいえ、人間というのは心に血を流してるのかね」
 鬼瓦は尚も遠くを見つめた。
 高円寺は四ッ谷の言葉を思い出す。一年の夏休み明けに阿佐ヶ谷が変わった、と言っていた。となると夏休みの間に何かがあったのではないか。そして、あることに高円寺は気づく。
「じゃあ、親父。このままいくと阿佐ヶ谷はどうなる?そういえば、この間気絶したんだ。最近は意識を失う頻度も頻繁みたいなんだ」
「脳蚤が巣食ってしまった場合、その後にあるのは、もちろん死だ。考えてみろ。人間というのは本来、思考と感情で形成されている。感情を吸い取られてしまえば、思考することもできない。生命が途絶えるのではない、ただの人の形をした入れ物となる。人形みたいなものだ」
「親父、助けるにはどうすればいんだよ。なんとかしてくれよ。昔、除霊みたいのやってたじぇねかよ」
「息子よ!やけに感情を爆発させるじゃねえか。お前の女か?」と鬼瓦が小指を立て笑みを見せ、「心、開けてみるか」と瞬時に鋭い目つきに切り変わった。