「ねえ、なにしてるの?高円寺君」
 声が聞こえた。か細い声。高円寺の背筋がピンと張りつめる。
 万事休す。高円寺の脳裏にテロップとして学園生活の終わりが流れ、ベートーベンの『運命』冒頭が連打される。その困惑的な現実を受け入れるように高円寺は振り向いた。ロッカーの中に女がいて顔をちょこっと出し、彼を見ている。白のブラウスに紺のスカートという校内指定の制服を着用していることはかろうじてわかる。わからないのは、なぜロッカーの中にいるか、だ。その疑問が解決されていない。いや、むしろ、永久に解決されないのではないか、とさえ高円寺は思えてならない。
「いや、その・・・・・・・顔を見せてくれないか?」
 高円寺は訊いた。顔を見せてもらって何かが解決するのだろうか。事態は悪化するだけなのではないか、彼にはわからない。圧倒的に人生経験が不足している。
「いいわよ」と女が素直に従った。が、「ああ、でもごめんなさい。目眩がする。頭が重い。倒れそう。ねえ、倒れちゃいそう高円寺君」
 その瞬間、女はふらっと体勢を崩し、水浸しの床に倒れそうになる。高円寺は瞬間的に行動に出た。女が床に倒れ込む前に頭と腰を持ち、彼は安堵の息を吐く。そして、違和感に気づく。彼女は頭が重いと言った。が、女の頭は形容し難い程に、軽かった。
 高円寺は女の顔を覗き込む、クラスは違うが、阿佐ヶ谷なぎさ、だった。