二重人格三重唱

 「あれは清雲寺の隣にある稲荷神社の鳥居なの。ねえ、翼。仕方ないから戻ろうか?」


「そうだね。あの鳥居、どう見ても道幅いっぱいのようだし……」


「はい翼、回れ右!」
陽子が一言掛けると、翼の体が反応したらしく反対を向いていた。


「おいおい……僕、保育園児じゃないよ」
翼がふてくされる。


「ごめんなさい。つい癖が出ちゃった」
陽子が頭を掻く。


そう……
陽子はこの四月から、保育園の保育士になっていたのだった。




 保育園での実務研修を終えた頃。
節子は言っていた。


『近所の保育園で働いてほしい』
と。

でも陽子は保育園の場所選びに迷っていた。

中川では節子が、翼を離さないだろう。

自分の居ない内に甘やかしたい放題甘やかすだろう。


そしてきっと婿にしようと画策するに決まってる。

でも、陽子はどうしても弟に木村家を継いで貰いたかったのだ。


だから、堀内家から通える横瀬を選んだのだった。


がっかりする節子の姿を想像しながらも、そうせざるを得なかったのだった。




 「せーの!」

陽子の掛け声で、翼の体が又反応する。

少し歩いた後に、翼は思わず吹き出した。


「陽子の思いのままだな」
翼が呟いた。

陽子が覗き込むと、その顔には笑みが零れていた。


「……ったく。もうー、翼の意地悪!」


「心配した?」

陽子は頷いた。


「ほら見てごらん」
翼はそう言いながら体を反転させた。


「何時かあの鳥居を潜ろうよ。そうだ来年又此処に来よう」

その言葉に陽子は頷いた。


翼は本当は違うことを言おうとしていた。


稲荷神社……
その神社によって言い伝えが違うのは知っている。

火災除けだったり……

翼の知っているある神社では、失物を探してくれると言う伝説があったのだ。

翼の失物……
それは母の愛。
でも……
それを言うと、陽子が苦しみことは解っていた。

翼は心の中で涙を止めた。

陽子に素晴らしい一日をプレゼントするために。




 元来た道を戻って暫く歩くと、清雲寺に続く小道があった。

その道の先に大勢の人だかりが出来ていた。
其処には大小それぞれの枝垂れ桜が所狭しと植えられていた。


「凄い数……」


「でも、こんなものじゃないのよ」
陽子が得意そうに言った。


(うん。そりゃそうだ)
翼は目の前に広がる壮大な景色に心を震わせていた。