七月の最終週。
秀樹と直樹が、高校野球に出場のために高校の用意したバスで甲子園球場に向かって出発して行く。

甲子園球場では八月二日より練習が開始される。
そのために数日前から現地に向かわないといけないのだ。

組み合わせ抽選会は五日だった。


それを見送った正樹と美紀も、その場から車で大阪に向かって出発しようとしていた。


美紀はあることを試してみたくてウズウズしていた。
勿論初挑戦。
そのために今、車のドアの前にいた。


美紀はまだ一度も助手席に座ったことがなかった。

其処は何時も珠希の席だった。

だから子供の時から後部座席だったのだ。


死後五年を経ても尚、ママとしての存在感は不滅だったのだ。

それは、娘にとって脅威だった。
だからまだ、一歩を踏み出せないでいる美紀だった。


――カチャ。

意を決して、初めて助手席側のドアを開けた。


(ママ許して……私パパの隣に座りたい。どうしても座りたい!)


足をマットに置こうとやっと一歩踏み出してみた。


でも駄目だった。

又乗ろうと試みてみた。
そして又決意が揺らぐ。


美紀はその場で呆然としたままで助手席を見つめていた。



 美紀がたじろぐその源は、目の前の日差し除けにあった。

珠希と正樹の思い出が其処にぶる下がっていた。




 それは珠希が亡くなる前年の秋。
国民体育大会に出場する珠希の応援に行った時のことだった。

試合の会場に向かう前に、珠希が正樹にキスをせがんでいた。
勇気を……やる気を……
正樹から貰うためだった。


美紀が見ているとも知らずに……
正樹はそれに応じた。


珠希の激しいキスを目の当たりにした美紀は心を閉ざした。


(美紀見ていなさい。これが愛されるってことよ)

まるでそう言われているような感覚だった。

珠希は此処ぞとばかりに正樹の唇を貪った。


それを見せつけられた美紀は、恋しい気持ちを封印せざるを得なかったのだ。


美紀は既に、正樹を愛し初めていたのだった。

たとえ、それがどんなに苦しくても美紀は耐えなくてはならなかったのだった。

子供が産まれ、幾年かが経つ今でも珠希の愛は更に激しさを増していたのだった。