「幸せだったわ。
 勇人と一緒に過ごした時間は・・・」



私は瞼を閉じてひとつひとつの思い出を
確かめるように ゆっくりと話を始めた。 


「何もかもが全て夢心地で 
 毎日、雲の上を歩いているみたいだった」


目が合う度に 指先が触れるたびに寄り添った。
繰り返される熱い抱擁。
何度 交わしても厭きることのないキスに
この上なく甘やかに蕩けた。
放したくないと狂おしいほどに求められ
離れたくないと誘う言葉に酔わされて 
溶け合うほどに深く愛しあって・・・
私は彼に夢中だった。
他には何も要らないと心底思ったほど幸せだった。
 


「幸せだったけど、でも何か違うと思った。
 愛し合っている実感は痛いほど感じるのに
 置いてきぼりにされたような切なさがあったの」



うん、と雅也は頷いて相槌を入れてくれた。



「結婚しようって言われて・・・
 素直に嬉しいって思えなかった。
 自分でも意外だったけど」



うん、と雅也はまた頷いた。



「たぶん勇人が私を好きだってことがわかって
 それでもう十分だって思っちゃったのね。
 それに 私・・・ 何も知らなかったの。勇人のこと。
 知ってたのは高校生の頃の彼だけ。
 大人になった彼をほとんど知らないままだった」

「そんなもん、つきおうてるうちに分かることやろう?」

「そうよ?そういうことを聞いたり見たり感じたりして
 今の勇人を知っていく時間が欲しかった。けれど足りなかったのよ。時間が。
 それに私は 彼が留学した時に彼への思いを一度リセットしてしまった。
 だから・・・私たちの思いには時間差も温度差もあったの」

「そんなもん、一緒になってしまえば直ぐになくなるんと違うか?」


「私もそう思っていたわ。でもどんなに愛されても
 空白の時間を一気に埋めることなんてやっぱりできなかった。
 毎日がふわふわしてて夢のように幸せなのに
 どこか地に足が着いてないような心許なさに怯えもしたの。
 こんな気持ちのまま結婚していいのかって 不安になったわ。
 勇人の言うように マリッジブルーなのかもしれないとも思ったけど
 きっとそれなんだって思えば思うほど
 そんな一時の感傷ではないと思えて仕方なかった。
 だから勇人に頼んだの。もう少し待って欲しいと。
 でも・・・ダメだった。待てないって言われたの」

「んー・・慎重というか えらい面倒くさいやっちゃなぁ お前」


そういうところは昔と変わってへんなぁと雅也が微笑んだ。


「貴方も知っているでしょう?
 勇人は学生の時からの憧れの王子様だったの。
 そんな人と結婚するんだと思ったら何か竦んじゃって。
 遠くから見つめるだけの王子様から
 一人の男性としての成瀬勇人になるまで
 もう少し時間が必要だった。
 普通の恋人同士として過す時間が欲しかったの。
 雅也と過したみたいに」



本物の恋をしようと言われたあの雨の日から
長い時間をかけて少しずつでも着実に互いの距離を埋めながら
恋から愛へと思いを育んできたように。


電撃的に愛を結実させてしまう人からみれば
もどかしくて苛々するかもしれない。
でも私はそうやってでしか人を愛せない。
一人になってそれが分かったのだ。


「ホンマ面倒くさいなあ、女心っちゅーやつは」

「そうね」

「でも そういうところが女の子の・・・
 彩夏の可愛いトコなんやけどな」


そういって笑った雅也は 肩が触れるほど身体を寄せて 
頭を こつん、と私のそれに当てた。