その一言に雅也の動きがピタリと止まり
私を拘束していた腕が解かれた。
「どうして・・・ どうしてなんや!」
苦しげに搾り出された雅也の一言に
強張っていた身体から力がぬけていく。
「彩夏・・・」
「・・・・・・」
「こんなに愛しているのに・・・」
「・・・・・・」
「何よりも大切に思っているのに・・・」
「・・・・・・」
「どうして・・・っ!」
ひゅっと空を切って振り下ろされた雅也の拳の衝撃を吸ってベッドが軋んだ。
私の首筋に顔を伏せて埋めた雅也の肩口が
かすかに震えていたのに気づいた私はその肩に手を当てた。
もしかして・・・泣いているの?
「まさ・・や」
私の呼びかけに答えるかように
ゆっくりと顔を上げた雅也の頬を私はそっと両手で包んで
悲しみの色を湛えて潤む暗い瞳をじっと見つめた。
その深く沈んだ色に 上せていた気持ちが冷やされていく。
「雅也」
そうだった。いつも私を見守っていてくれたのはこの瞳だ。
いつも愛してくれた。
何より誰より大切にしてくれた。
「・・・雅也」
そんな貴方に甘えて 驕っていたのかもしれない。
たとえ貴方に背いたとしても笑って許してくれるかもしれないと。
でもそんなのは私に都合がいいだけの勝手な思い。ただの傲慢。
あの優しかった雅也からはとても想像ができない激昂はそんな私への罰だ。
真心に背いて何事もなく許されるはずなどない。
「ごめんね」
雅也の頬を包んでいた手は脱力してシーツへと滑り落ちた。
目を伏せて抗いをやめ、その罰をこの身に受ける覚悟を決めた。
どんな屈辱も陵辱もそれが雅也への償いになるのなら甘んじて受けようと。
「私・・・ どこへも行かない。雅也の傍に居る」
私がするべきことは成瀬の元へ行くことではなく
この人の瞳から哀しみを取り払い
その愛と真心に応えていくことだ。
「あなたと一緒に居る」
「もう・・・ ええわ」
吐き捨てるように言って ごろりと反転した雅也は
私の隣に仰向けになって額に腕をつけた。
「雅也?」
「もう やめよ」
「・・・雅也」
「また偽モノの恋をするつもりか?」
「え?」
身体を起した雅也が、私の頬にそっと掌を添えた。
「彩夏。お前は俺のお姫様や。お姫様言うたら着てるものも宝石も
何でも本物で価値の在るもんと昔から決まってる。
恋も一緒や。どんな話のお姫様も必ず心から愛した王子と結ばれる。
どんな障害や苦しみがあっても乗り越えてな。
自分の心を偽って他の男と結ばれる結末はない」
眦に滲み出た涙を雅也のの唇が優しく拭っていった。
「彩夏・・・今度こそちゃんと本物を掴め。本物の恋をな」
「雅也」
「怖い思いさせてごめんな」
小さく首を振ったら、その勢いで零れてしまった涙を
雅也の指先が甘く拭った。
「やっぱり俺は 王子様にはなれへんかったな」
結局ナイト止まりや、と苦く笑った瞳が揺れた。
そんな自分で自分を蔑むような言い方を聴くのは耐えられない。
悪いのは私なのだから。
「そんなことない。雅也は・・・」
「ええんや。わかってる」と私の言葉を遮るように
頭に雅也の掌が優しく置かれた。
「いつか・・・こんな日が来るかもしれないと何となく思てたから」
哀しみの色を浮かべた雅也の瞳を見ていたくなくて目を伏せた私の額に
雅也のそれがそっと当てられた。
「彩夏」
あぁ 雅也・・・ だからあんなに・・・
自惚れてしまうほど愛された理由が今わかった。
こんな時、何をどう言っていいのかわからない私に出来たのは
眼を伏せたままでいることだけだった。
「ナイトならナイトらしく
お姫様を王子の元へ送り届けるべきなんやろうけど
さすがにそれは ようせえへんわ」
「ごめんな」と立ち上がった雅也は私に背を向けた。
「役に立たないナイトは今日でお役御免や」
雅也は私を振り返ることなく言うと
脱ぎ捨ててあったジャケットを掴んでドアへと向かった。
「雅也!」
私の呼びかけに雅也は天を仰いで息を吐き
ゆっくりと振り返えった。
乱れた姿のまま立ち上がった私を見て、もう一度息を吐くと
自分のジャケットをふわりと私の肩に掛け、抱きしめた。
深く包み込むような万感を込めた抱擁に
溢れた涙が雅也の肩先を濡らした。
ごめんなさい、と口をついて出そうになるのを
私は無理やり飲み下した。
「幸せに・・・な」
「・・・・・」
雅也は何も言えない私の背をぽんぽんと優しく叩くと
名残や躊躇など微塵もなく、ぱっと私の身体を離した。
涙で滲む彼の背中が一度も振り返らず
ドアを出て行くのを見送った後で、私は床にへたりこんで
肩にかけられたジャケットの両端を引き合わせ
その中にうずくまるようにして声を上げて泣いた。
「雅也ぁ」
愛された時間の甘く幸せな思い出が
次々と浮かんでは消えていった。
消えてなおその輝きは増し、胸の奥を温かくしてくれる。
ねえ、雅也。
この輝きも温もりも偽りであるはずがないでしょう?
貴方がいつか私に言ってくれたように
私は貴方と本当の恋をしていたのよ?
心から愛していたのよ?あなたを。
雅也
雅也・・・
この思いを貴方に伝える時がいつか来るのだろうか。

