時にスイートに滞在するVIPにはプライバシー保護のために
専属の担当者をつける場合がある。しかしそういう時は決まって
管理職以上のベテランが対応する。
なのに、どうして私が?
しかも勇人の担当だなんて・・・
とくとくとく、と胸の鼓動が早く強くなった。
「お世話と言っても、特別何かするわけじゃないのよ。
ただ、彼は有名人でしょう?マスコミのせいで今はタレント的な知名度も高い。
お部屋に出入り出来るスタッフが変にミーハーな気を起さないとも限らないから
出入りするスタッフは最小限の人間に絞ることにしたの。
これは本人の要望でもあるし、総支配人からの指示でもあるのよ」
なんでも以前、別のホテルに滞在中、勇人の使用後のバスローブやベッドリネンが
密かに持ち出されオークションにかけられた事件があったらしい。
犯人は複数で、ルームナンバーの等の情報漏えいと窃盗の手引きをしたのは
ホテルのスタッフだったという。
ホテルスタッフにあるまじき行為ではあれど、聞かない話ではない。
御園は従業員教育も管理もしっかりしているし
そんな事は起こらないと私は確信しているけれど
何事にも絶対はない。もし同じような不祥事が起こればホテルの信用はガタ落ちだ。
なので勇人に専属スタッフを付ける理由は分かる。
分かるけれど、どうして私が選ばれるのだろう。
しかも私の部門は宿泊客というよりは、それ以外のお客様の対応が主なのに。
「それに 情報によると彼は随分気難しいらしいからな」
そう言いながら組んでいた腕を解き胃の辺りをさする小野田部長は
また神経性の胃炎が出始めたのかもしれない。
「そんな事はないと思いますが」
確かに柔らかい印象の人ではないけれど
随分とまで言われるほど気難しい人じゃなかったはずだ。
厳しい世界でますます研ぎ澄まされた集中力が
彼をそう見せているだけなんだと思う。
テレビの報道番組でのインタビューも愛想はなく淡々としていたが
あれは気難しさの表れではない。ただ、媚びを売れないというか
愛想を振りまく器用さがないというだけで、もともと気難しい人ではない。
彼の学生時代を知っている者なら皆 「変わっていないな」と苦笑いをするはずだ。
「生真面目で寡黙なだけです。決して難しい人ではありません」
上っ面だけを見て成瀬勇人と言う人間を判断して欲しくない。
彼はそんな浅い人間ではないのだから…
「ほら、やっぱりね。」
「はい?」
「それよ、貴女に白羽の矢が立った理由」
なるほど。
互いに旧知の仲ならば、気分を害するようなことも害されることもなく
ついでに気兼ねも要らないってわけか。確かに彼の人となりは知っているけれど
残念ながら気兼ねがいらないほど今は親しい間柄ではない。
「生徒会長と副会長だったんですってね?」
それが何?・・・と思わず舌打ちをしそうになった。
そんなもの、なろうと思えば誰とだってなれる間柄なのに。
「青春、よね?」と意味ありげに笑うチーフの目元が片方だけ瞑られて
あぁ、この人でさえも安直な連想をするのだと少なからずガッカリした。
それにしても、勇人と私のことは何処まで調査済みなのだろうか。
プライバシーの侵害とまで言わないけれど
大切な思い出を引っ掻き回されるようでいい気はしない。
それなら開き直って「つきあっていました」と言ってみようか、なんて
荒れた気持ちになってくる。
・・・いや、やめよう。
そんな事を言っても休憩中の話題を皆に提供するだけで
この事態は変わらないのだから。
「最高のもてなしで心地よく滞在していただくのが私達の務めよ?
旧知の仲で信用できる貴女がついてくれれば彼だって安心でしょう?」
「そうだよ、君!それで彼がウチを気に入ったとインタビューで言ってくれようものなら
予約客も増えるってものだ」
そう言われたら頷くしかない。
ホテルマンと言えど結局は給料をもらっているサラリーマンなのだから
与えられる仕事に嫌とはいえないし、個人的な感情など聞き入れられるはずがない。
「他にも忙しいところ、悪いのだけれど」
「あの・・・」
「そういうコトだから、よろしく頼むよ。藤崎君!」
「・・・はい」
「君の肩に我がホテルの命運がかかっているぞ!」
また大げさな・・・。だから私はこの人が苦手で信用できない。
「あぁ!それから言い忘れたけれど」
ドアを開けた小野田部長が向き直ってぽんと手を打った。
「明日の夜から君もここで寝泊りしてもらうよ」
「はあぁ?」
一体、どうしてそんな事になるのか咄嗟には理解できなくて
私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「わ、私が、ですか?」
「そうだ」
「仰る意味がよくわかりませんが」
「君が帰宅した後でルームサービスの依頼があったら、一体誰が対応するのかね?」
そんなの誰でもいいじゃない!なんならアナタがすればいいでしょう、とは
思っても口に出して言える筈も無く・・・
実質24時間勤務なんてありえないと正論で抗議したところで聞いてはくれないだろう。
そんな一日中勇人の専属みたいな立場は、正直に言ってちょっと困る。
彼に対してもう特別な想いは抱いていないけれど
名簿に名前を見つけたあの日から、会いたいような、会いたくないような
会うのが怖いような複雑な思いでいたのは間違いないのだから。
「でも、あの・・・それは…困ります」
「何が困るんだ?困ってるのはこっちだ。」
そんな無茶苦茶な理屈なんて知らない。
でも、本当のワケなんて言えない。
「私がします、って言ったのよ?でもダメなんですって」
「当たり前だろう。東城君では色々と・・・あちらが気の毒だ」
「どういう意味でしょう?」
「と、とにかく」
咳払いをして、あたふたとチーフの視線から逃れるように私に向き直った小野田部長が
「明日はそのつもりで出社しなさい。これは業務命令だ」と強い口調で断言した。
それを言われたら何も言えないのがサラリーマンの辛いところだ。
はい、と力なく返事をした私の肩をぽんぽんと叩いて「よかったよかった」と連呼しながら
ドアを出て行く後姿に心の中でアカンベーをした。
ホント、人の気も知らないで。
はあ、と落としたため息とともに落ちた肩はチーフの細く長い腕に抱えられた。
「なにもメイド服でお傍に侍って、ってワケじゃないから」
「当たり前です!」
「でも、ちょっと彼の着替えを覗くくらいはいいわよ?許す」
「そんなお許しはいりません!!覗きもしませんっ!」
チーフが今回の対象から外されたわけが何となく分かった気がした。
ごめんごめん。冗談よ、と堪えきれないのか肩を震わせて笑う彼女を睨みつけて
何とも複雑な思いで私は部屋を辞した。
まさかこんなカタチで勇人と再会することになるなんて。
明日からのことを思うと深い大きなため息が出てしまう。
こんなことになって、勇人はどう思うだろうか。
私と同じように驚くだろうか。
でも昔を知っているだけに逆に私では困ると言われてしまうかもしれない。
もっとビジネスライクに割り切れる人がいいと言うかもしれないし。
・・・でもそれはそれでちょっとショックだな。
それよりも、先ず初めになんていえばいいの?久しぶり?それともご活躍ですね、かしら。
あぁ、彼は私をどう思うだろう? 今の私はどう彼の目に写るのだろう?
変わらないと言われるのは成長して無いみたいで嫌だし
変わったって言われるのも、どう変わったのか気になってしまう。
気になってしまうから・・・先に聞いてみようか?キレイになった?なんて。
え?
何よこれ。私は何を考えているの?
いつの間にか甘やかでくすぐったい高揚感に包まれている自分に気づいた私は
小さく深呼吸して頬を両手で軽く叩いて喝を入れた。
違う!違うわ。ただ懐かしいだけ。
・・・それだけ。
そう浮かれ気味な自分に言い聞かせてロッカールームのドアを開けた。

