その日の予報では晴れのち曇りだったのに
午後になって、突然 雨が降り出した。
しかも時が経つにつれ酷くなり、授業が終わるころには土砂降りで
予報を信じて疑わず傘など持たずに家を出た私は
昇降口で立ち往生するはめになってしまった。


濡れて歩くにはまだ寒い季節だし、なによりそんな濡れた格好で
余所のお宅に伺うのは失礼だ。今日は夏凛の家庭教師の日。
入試を明日に控えているので、いつもの曜日ではないが時間を取ってほしいと
夏凛の親御さんに頼まれた。できるだけ緊張をさせずに
前日を過ごさせてやりたいから話相手になってやってくれというのだ。
私立中学を受験することになり、二学期の終わりにそれを明らかにしたことで
友人たちとも少なからず壁ができてしまったらしく
今は心を許しあえる友達がいないのだそうだ。


たかが受験ごときで友人関係がダメになるような相手は
本当の友達とは言えないと思うし
そんなことで避けるなんてと憤りを感じるけれど
夏凛はまだ12歳の子供だ。すっぱっと切り捨てたり、割り切ったりできる強さは
まだ持ち合わせていないだろうし、どうすればいいのかもきっとわからないだろう。
かわいそうに。彼女の心痛を思うと胸が痛くなってくる。


それでも屈折せず自分を保ち、目標に向かって
努力してきた夏凛の健気さには心を打たれる。
明慶に進学したい思いはそれほどに強く、彼女を支えているのだろう。
夏凛の憧れの彼、マサヤくんがこのことを知ったら
きっと全力で夏凛を励まし応援してくれるに違いない。
夏凛や彼女の母親の真知子さんの話からも
彼はそういう人柄なのだと察しがついている。


けれど、このことをマサヤに話せないのがもどかしい。
夏凛との約束なのだ。彼女の思いは決して誰にも言わない、と。


そんな状態なので、真知子さんからは年明けに
勉強だけでなく、プライベートな面でも
力になってやって欲しいと頼まれていた。
こういうことは親よりももっと本人に年齢が近い大人が
一番信頼できて素直になれるだろうから、とも。


どうすればいいのかわからない夏凛の心情も
娘を案じる真知子さんの気持ちもわかる。
だから私にできることは何でもしてあげたいと思うけれど
はたして私のような者に何ができるのだろうか、という不安もある。
否、何かしようなんて思わなくてもいいのかもしれない。そんな力んでは
かえって夏凛が構えてしまうだろう。ただそばに居て寄り添って
他愛のない話をしているだけでいいのかもしれない。


さて・・・ 今日はどんな話をしようか。
どうやって過ごそうか、と考えながら
家庭教師の時間までの時間潰しと学校に残っていたのが災いした。
こんな事なら昼で下校していればよかったと恨めしげに見上げた雨空が
深い色の傘に遮られた。



「酷い降りだな」

「成瀬くん!?」

「傘 持ってこなかった?」

「だって天気予報は降るって言わなかった」


だよな、と勇人は恨めしげに空を見上げた。


「成瀬くんは持ってきたの?」


ちょっと敬意を込めて見上げると、いや、と苦く笑った。


「部室に置きっぱなしにしてあった」


「そっか。なぁんだ。さすがだなって尊敬したのに、損しちゃった」


損得じゃないだろ、と合わせた視線が
柔らかく微笑んだのにつられて私も微笑んだ。
胸の奥に小さな甘い痛みを覚えながら。



「なあ」

「ん?」

「このまま止むの待ってるつもりか?」

「うーん・・・ そのつもりなんだけど
止まなかったらどうしようかなって」



私は腕の時計を見た。
夏凛との約束の時間も迫ってきている。


「走っちゃおうかなぁ」

「それなら 入っていかないか」

「え?」

「濡れるよりはましだろ」


そう言って浮かべた微笑みも
傘を傾げて招く仕草も、あまりにも優しくて自然で
これが本当に彼が愛しく思う人へ向けられるときはどんなにか・・・と
思うだけで胸にきりきりと絞られるような痛みが走った。
それが私でないことがこんなにも切なくて辛い。
出来ることなら、このまま駆け出してしまいたい。
こんな思いのまま彼とひとつ傘で歩くくらいなら、と思うのに
それでも彼と寄り添って歩くのを拒む事ができない私は本当にずるくて醜い。




「あっ ありがと。助かる」




招かれるままに一歩彼に歩み寄った。
いつもより近づく距離に鼓動が早まってしまうのを抑えることができない。
湿った雨の匂いに混じって、ほのかに香る勇人の香りが
早まった鼓動を更に強く早くさせて息苦しささえ覚えるというのに
次の彼の一言で息が止まってしまいそうになった。