事件記録から私に辿り着いて説明を求めた貴方は、私が語る過去話を黙って聞いている。
「そうでもしないと、乗り込んで暴れてしまいそうだったから。」
「殺さないでくださいね。」
「座興にしても言葉が過ぎましたか?冗談ですよ。」
難しい顔の貴方に私は笑って返す。
貴方が接敵して十全にして四つに組んだからこそ、長年無罪推定の原則を突き通してきたあなたが完落ちした。
けれども、私は、私だけはスタックしたまま。待っていた訳じゃない、ただただ時間が過ぎていっただけ。

偽名ではなく旧姓であったものの近付いて来たからには情報を得る為であるとか、そこには何らかの目的が存在していると思う。捨て去れなかった過去の自分と無意識に重ねて、自分と同じような目をしていたから心情を理解出来るのは同じ立場の自分だけだと思い上がっていた。
守る為に命を張るか復讐の為に命を燃やすかなんて虚々実々な正否は、それらの対象が相手なのか自分なのかで違ってくる違いは雲泥の差。
「あなたに復讐することが出来て良かった、そう言えば満足ですか?」
仲が悪かったのに仲を取り持ったら仲が良くなってしまって、発展したスキャンダルに足を掬われて、空騒ぎするあいつと対峙した貴女の些細な変化に気付きたかったのに、己のシックスセンスも当てにならないとつくづく思う。

「事件の裏取りをこれからって時に。」
貴女が退職届を出したことに文句を言いながら伝えに来た貴女の先輩の脇を、押っ取り刀の全速力ですり抜ける。
「事件解決おめでとうございます。これで幸先がより良くなるんじゃないですか。」
笑っていた貴女の元へと急ぐ。どうして貴女を一人にして置いてきてしまったのか。違和感は最初からあった筈なのに。
へらっと逸らかされてもしれっと邪険にされても、不敵な笑みを黙殺して一緒にいるべきだった。貴女に何かあったら、貴女が貴女に何かしてしまっていたら、一体どうしたらいいのか。

退職届を出したら案の定引き止められたけれど、引き継ぎも荷物の整理も済ませた上だったから、無理を言った上司も最後には受け取ってくれた。
挨拶も無しにと貴方はきっと怒るだろう。けれど、上司以外に顔を合わせるつもりはない。見上げた元職場になったこの建物も二度と見ることはない。

横断歩道を身軽に渡ろうとした時、腕を掴まれて目の前を車が通りすぎる。後ろを振り返ると、私のことを走って追い掛けて来たのだろう。貴方は膝に片手をつきながら肩で息をしている。
「病院に行きましょう。まだ間に合いますから。」
「病院って・・・体調は崩していませんし、間に合うとか何の話ですか?」
「殺さないでくださいね。って俺言いましたよね?」
「私は乗り込んでもいないし、暴れてもいませんよ。」

最初からだった。衝動的でもなければ計画が変更された訳でも選び直された訳でもなかった。次善策などない。匕首を自らに突き付けて、誰にも何も告げないまま、黙って初めからこの結末を見据えていた。
憶測だけの仮説だとしてもこの辻褄の合う主張は、証拠をもって否定するまでもなく。何の躊躇も無かったから本気で思っているのが分かる。自分の胸に聞いても本気でそう思う人間は、他人に対して頭がいかれているか、自分に対して狂ってしまったかのどちらかだ。潔いと褒めるべきなのか迷えと叱るべきなのか。
「心配しなくても粗相の無いように、邪魔されないところでしますから。気付かなかったふりだけしてもらえると有難いです。」
何を言っているのか理解したくもないけれど、俺の言っている意味を理解して、それでいて何も隠す気がなくて、今から行うことの事実をただ述べているだけだから余計に理解出来ない。
だけど、言ってくれればよかったのになんて言わない。言えないくらいあいつに傷付けられてきたのは分かっているから。説明を求めた俺に話してくれただけでも御の字だったから。
心の風邪をどうしてくれようか、この心を病んでしまった大馬鹿者を。あの時と同じく冗談だと笑って言ってくれたなら、ある程度は軽く返せるのに。
「是非そうしてください。と、言うとでも思いましたか?俺を甘く見ないでください。悪いですが、いえ微塵も悪いと思いたくはありませんし、そうはさせません。」

掴まれた腕を一向に離してくれないどころか、貴方の宣言のような言葉の意味を理解しようとする前に、焦りを含んだ言葉と共に引き寄せられた。
「殺さないでください。貴女を殺さないでください。死なないでください。」
十字架を背負えず肩代わりも出来ず、大切な思い出までも憎しみで消してしまうなんてこともなく。あの瞬間に私の世界は正確に歪んでオンブレ。渡ろうとした信号機と同じ赤色を基調として、カラフルなモノトーンにBGMはレイドバックなブルースだ。
「復讐するべき未練も恨みある相手も、解決してくれたのは貴方ですよ。」
「貴女、あいつのこと恨んでませんよね。未練なんてこれっぽっちもありませんよね。」
真っ直ぐな太刀筋を見逃して欲しかったのか、湾曲的な手旗信号を見咎めて欲しかったのか。死ねる可能性があるからこそ生きられる。いつでも死ぬことが出来るという思いは、ある意味救いになっていたのかもしれない。私をこの世界に結びつけていたモノが役目を終えたら、裏返って引き裂くことになるのだから。
「これ以上、私が居る理由が分からない。」
何にも束縛されなくなった自由さは、どこへ行ってしまうのかどこへ向かえばいいのか、不自由さが分からなくなった不安を纏う。

「苦しいことなら俺が背負いますし、楽しい時には貴女と一緒に居たいです。」
「そんなことは、もうどうでもいいんですけど。」
「・・・そんなこと?俺にとってはそんなことじゃないんだよ!」
貴方が私の名前を優しく呼ぶから、私の存在を許してしまいそうになる。境壊線を越えているのに死にたいなんて贅沢と、呪わずとも助けを求めていたのか。苦しいなら跡形もなく壊したい私と、大切だから丸ごと全部守りたい貴方。壊れたら壊れたそのまま放置の私と、元の形に戻せなくても直そうとする貴方。今のは聞かなかったことにしてと私が言ったところで、聞いてしまった以上それは出来ないと今の様子の貴方なら言い張るだろう。

「貴女が好きですから。」
「それだけの理由ですか?」
「それだけで俺にとっては十分な理由です。」
固い意思を否定しても、意に沿わなくても、意に背いてでも、貴女から貴女を守り、貴女を助けたいと思う。賢しらなのは分かっているけれど。

「俺が奪っていいですか?ってか奪います。貴女から貴女を奪います。」
貴方はそう言って並べ立てた言葉で、私が死ぬ理由を潰し私に生きる理由を与えて私を私から奪う。
「貴方は随分と強引な人だったんですね。」
「貴女のガードが固すぎるからですよ。」
生きることを認めて縋ったんじゃない、死ぬことを諦めて振り切っただけだ。
けれど、呼吸はもう乱れていないのに鼓動がとても速いから。
抱き締めるからハグぐらいに緩んだ貴方の背中に手を回しトントンと軽く叩く。
私の計画は貴方によって頓挫した。

退職届は受理されることなく撤回すらすることなく、人手が減らなくて良かったと言われて裏取りに加わる。
「付き合っているという認識でいいんですよね。」
私にそう問い掛けられた貴方が飲んでいた珈琲で咽てしまうのは、もう少しだけ先の話。