私の母親はある定食屋で働いていた
常連さんも新規さんもお客さんで賑わって繁盛して
従業員の中の一人と恋仲になった
ある日突然人望がある店長が人を殺した罪で逮捕された
恋仲の従業員である男は店長と親しかった
親を早くに亡くしまるで親子のように仲が良かった
店は当然休業状態で店や店長に対して誹謗中傷が酷く
恋仲の男は事件とは全く関係が無かったけれど
どこへ行っても付き纏う噂に仕事場を転々とせざるを得なかった
母親はその度に恋仲の男を支え付いて行っていたけれど
恋仲の男は追い詰められていき母親の励ましも届かず自らその命を絶った

母親は自暴自棄になって色々な人達と関係を持って浮き名を流した
その日々の中で私を授かり母親は母親になろうとした
父親が誰だか分からない私の母親になる努力をした
けれど良い母親となる為に私が産まれる前から根を詰めすぎた母親は
私が産まれて更に育児ノイローゼが加速してしまって自らその命を絶った
母親の顔も声も覚えていなくても部屋の中に充満していた臭いだけは今でも鮮明に覚えている
父親に棄てられて母親に置いて逝かれた私は行方不明の落とし物と同じだろう

近所から通報されて保護された私はとある施設で過ごしていた
その施設は資金繰りに四苦八苦していた
何故なら可哀想な子供を放っておけなかった施設長が自らの自己満足の為に増やし続けた結果だ
自転車操業の金作が二進も三進もいかなくなってついに首が回らなくなって施設長は考えた
自分の手元においておくことが出来ないのならば子供達は必ず不幸になる
自分の施設にいる子供達は血が繋がっていなくても家族なのだから
家族ならば何時如何なる時も一緒にいなくてはならない
自分が心中する覚悟が出来たのだから逝くべき時も家族全員一緒だ
私の誕生日に決行された職員も巻き込んだ挙句の施設長の無理心中は結果から言えば失敗だった
一目で手の施しようがないと分かる光景を目にした私が唯一生き残ってしまったから
いや施設長の理論で言えば成功と言えると思う
私には誰かを好きだと思う気持ちも言葉の重みも分からないから
施設長の家族だから一蓮托生だという連帯責任も信じることはない

病院で意識を取り戻した私は新しい施設で順調に育った
その施設の近所には警察の偉い人が住んでいる御殿があった
そこの次男は養子で養父は人格者であり養母は優しく実子の長男は将来有望
次男は実の父親が殺人犯だから自分は父親のようになってはいけないと
養子先の家の恥になるような体たらくな人間にはなってはいけないと
自分の一挙手一投足を見られているからと言っていた
周りの大人は懐疑的で殺人犯の子供の言うことなど推して知るべしと言っていた
だから必死に言い聞かせていたのかもしれない自分と父親は違う人間であると
養家の人達はそんなに頑張らなくていいと言っていた
傍から見れば何時まで経っても他人行儀で不器用な次男が無理をしているのに気付いていたのだろう
私は次男に努力の人だねと言ったら次男は円らな瞳を更に丸くして面映ゆく顔を背けた
愛されたことがないから愛が分からないし愛を知らないから寂しくもないし特段欲しいとも思わない
私には情緒面が無いに等しいし家族や親子は分からないけれど行動原理は分かるから
ベースとなることを知らなくて空っぽだから環境がどうであれ判断するには本人を見るしかない

次男と一緒の時間を過ごす内に養家の人達とも仲良くなって
養父が退官して養母が病気で亡くなって長男が結婚して次男が警察官になって
学費を援助するという有難い話を固辞し奨学金とバイトを駆使して私は所謂三級職になった
親ガチャなんて言葉があるけれど当たったか外れたかは私自身には分からない
環境の外身だけ豪華であっても中身がまるで伴っていなかったとしたら
回しただけでコロコロと軽く出てくる親なんてきっと願い下げだろう
金色に光る空のカプセルよりも透明なカプセルに愛情とか絆とか思いやりとか思い出とか時間とか
思いっきり詰め込んで親子になってくものだと私は次男一家を見ていて思う
光もせず鈍りもせず向こうが透けたままの私は他人から見ればガチャも人生も失敗なんだろう
けれど一応警察の警察で作業を任されていて公僕であり公儀隠密とも留守居役とも呼ばれる
特殊ではあるけれども偉い地位にいるから成功なのだろうかとも思う
産まれてこなければこの地位にいなかったのだから親ガチャ冥利に尽きるのだろうか

職務上言えないこともたくさんあるし言えないようなこともたくさんしてきている
それどこの情報なんですか?と聞かれても大抵お話出来る段階ではありませんと口にするしかない
他部署とぶつかるしかない私に色々口を出してくる次男に心配してくれているの?と言ったら
面倒をかけられたくないだけだと憎まれ口を叩く素直ではない次男とは言い合いをしても屁理屈を捏ねても喧嘩にはならない
敢えて養父や長男と同じ警察組織に身を置いた次男はこれまた口数が少なく不愛想であり
揶揄されない為に強引な手段を用いて手柄を搔っ攫っていくから評価がありながら評判は最悪
しかし二人で話している場面を見ると意外とお喋りなのだと言われることがしばしば
それは私が次男を信用しているからでそして次男が私を信頼しているからだろうか

そんな穏やかとはいえないけれど比較的日常と呼べる日々を過ごしていたら
私の母親が働いていた定食屋の店長と次男の実の父親は同一人物であることが発覚する
正確に言うと養父と長男は知っていたけれど私と次男の仲を考慮して黙認していた
次男は実の父親の事件を知ろうともしなかったし警察官になっても調べようとはしなかった
私は私で私の人生を人伝に聞いていただけだったから関連性を見付けられなかった
親についてのあれこれを次男は気を付けていたようだけれど私は気にしたことが無かったから
更に衝撃だったのは店長である次男の実の父親に殺された人には一人息子がいてフリージャーナリストになり
事件を調査し続けていて私達の前に現れ次男の実の父親は冤罪であったという証拠を突き付けたのだ
次男の実の父親は逮捕された当初犯行を否認していたのにある日を境に罪を認め自白したことに違和感を抱いたらしい
次男は実の父親が犯人でないならと過去に向き合う決意を固めて罪を被せた奴を捕まえると意気込む
誰かの為に葬られた闇から誰かにとっての不都合な真実を誰も彼もが呼び起こす
事件を解明し明るみに出す為に辿り着いた真相は真犯人が養父ということだった
事実は小説よりも奇なりとは正にこのこと
養家の名に傷を付け迷惑をかけたとそう思うなら全部話せと詰め寄る次男
名誉に関わると養父の口から聞くまではと無実を信じている長男
どんなことをしてでも事件の真相を伏せる気はさらさらない息子
もう引き返せないからなと秘中之秘を守ってきた養父が語る

当時事件の指揮を執って捜査に携わっていた
殺された人である被害者は悪事を働いていて秘密裏に関係があった養父
次男の実の父親も店長として定食屋を続けていく上で片棒を担がされていて関係を断てなかった
養父が名家であることを利用して被害者からの要求がどんどんエスカレートする
要求に応えることがだんだん難しくなり更には家族をも巻き込む脅しに変わり
悪事が露見することを恐れた養父は事故に見せ掛けて悪事ごと被害者を葬り去った
しかし被害者と揉めていた次男の実の父親が容疑者に浮上してしまったことで
事件性が出てきてしまい殺人事件として捜査せざるを得なくなった
だから否認を続ける次男の実の父親に対し子供である次男の将来を盾にして取引をした
対外的には殺人犯の子供を引き取った奇特な人という批評に株は上がったけれど実際は自分の保身の為だった
けれど人一人育て上げるのは仁義を切ったとしても並大抵では出来ない
次男を育てることこそ次男を守っていくことと同じことだったから
育てられたことが幸せだったのにこんな立派になって親孝行までしてくれたと言えたのは
違うなら違うと否定出来なかったのは間違いを間違いであると言えたのは
レストランの料理にはなれなくて毎日食べる隠し味が隠しきれていない家庭料理にしかなれなくても
真相を隠し続けてきた養父も心配性で常に家族の身を案じ続けてきた長男も努力を続けてきた次男も
被害者であったのに悪事を働いていた加害者でもあった自身の親と真正面から向き合い続けた息子も
ちぐはぐで歪でも私から見れば親子の絆がちゃんと存在する家族だった
私の家族観は次男の家族だ
切れた糸を結び直せる家族だ

事後処理も終わり余命僅かだった次男の実の父親の危篤にも間に合い事件すべてが落ち着いた
そう思っていたら次男に呼び出されて言いにくそうに視線を彷徨わせて言葉を探すように口を開け閉めして
逡巡して出てきたのは私のことが好きという言葉だった
自分の言うことを否定せずやろうとすることを止めようとせず
努力の人だと言われたことで救われて自分のまま見失わずにいられたと
私がいるから安心出来るのではなく私がいないと安心出来なくなっていると
しかし家族や親子が分からない私にとって愛という感情なんて更に分からない
けれど次男はそんなことは分かりきっていることだと言った
今まで通り言い合いをして仕事をしてプライベートは軽く出掛けてそこに少し恋人感を足す
愛が分からずに分かち合えないのならば自分からの分を目一杯あげるから一緒にいる間だけでも愛されてくれないか
知ろうとして欲しいから少しずつでいいから愛を知って欲しいから
そして一緒に生きていって欲しいから
私が真顔で黙ったままだったからか言い終わって気恥ずかしくなったからか
最後の晩餐で重要なのは何を食べるかより誰と食べるかだから一生のお供にどうかって聞いていると捲し立てる
お酒のお供にみたいに軽く言わないでくれると返して次男の案を了承した
次男に言われて思った
進む方向さえ放棄する人ではなく進めない経路を勧める人ではなく進むべき道を与えてくれる人ではなく
進むかも戻るかも立ち止まるかも共に人生を模索し自分自身の足で歩いていくということ
私の中でふわふわしていたモノが居場所を見付けて塡って落ち着いた感じ
ああ私は生きていて良いのだと

それから次男の案に乗っていたのだけれど流石にデートが日常の買い物に毛が生えた程度なのは如何なものか
私が初恋で言えずに私を忘れる為に恋人を作ったけれども父親の件もあって結局別れてしまった
しかし曲がりなりにも恋人がいたことがある次男が望んでいるのはきっとこんな形ではないはず
だからザ・デートをしようと考えてみた
がしかし仕事の作業ならばいくらでも策は思い浮かぶのに次男とのことになるとサッパリ思い浮かばない
恋人ごっこならば白さは七難を隠すように出来るのに本当の恋人となるとこんな私であっても話が違うらしい
だからザ・デートの王道を歩んでみることにした
普段は着ない可憐な服を着ていけば目線は逸らされるしデートスポットに行っても視線は合わないし観覧車で隣に座れば距離が遠くなる
終始気も漫ろに気のない返事で表情の変化が一層乏しい
ザ・デートの王道でこんな調子にさせてしまっては次男にとって良くないだろう
だから私は落ち着いて話が出来るように人気の無いところへ誘う
今日一日一緒に過ごしてみて分かった
勝手に死なれてしまったり一緒に死んで欲しいとか死んでは駄目とか言われたりしたけれど
一緒に生きて欲しいと言われたことは無かったから嬉しかったし生きていて良いんだと思えた
それに付き合っているのだから普段の買い物みたいなことではなく今日のようなデートをしようと考えて恋人っぽいことをしようとしたんだけれど私では上手くいかない
私と別れてちゃんとした人と付き合う方がいい
次男は捜査以外ではきちんと気遣いの出来る人だからもっと相応しく良い人がいると今日の次男の言動を含めて私は至極真面目に言った
最初は静かに私の話を聞いてくれていたのだけれど一瞬驚いた表情をした後言葉に詰まってだんだん困った顔になっていった
そんな顔をさせるつもりも無ければして欲しいとも思わないのだけれど原因はやはり私のよう
お互いに沈黙が続いているこの不毛な時間を切り上げようとするより先に次男が口を開けた

別に楽しくなかったわけじゃない
ただいつもと雰囲気が違ったしデートだって思ったら変に緊張して
言動が挙動不審でおかしかったのは認める
それにまだそっちの気持ちが追い付いていないのに手を出したくないんだよ
それって私を抱きたいってこと?
もう少しオブラートに包めよ
別に作業として仕事でもしているし初めてではないのだからそんなに気負わなくても抱きたいのなら我慢せずに抱けばいいのに
まあ上手かどうかは分からないけれど多分下手でもないと思う
あのなぁこっちの気持ちと仕事の作業と一緒にするな
背中を押したつもりだったけれどどうやら違ったらしい
けれど返事のトーンがいつもの調子に戻ったから良しとしよう

次男が私との全てを望んでくれているのならば私は次男に対して私の出来る限りをしたい