奇声の擬音はギャーギャー。
足音の擬音はドタバタ。
跳び跳ねる擬音はドシンドシン。
椅子を引く擬音はズズゥーン。
扉の開ける擬音はガラガラギィー。
扉の閉める擬音はドンガチャンバッタン。
物が投げつけられる擬音はゴッドカッ。
蛇口を捻る擬音はキュッキュッ。
水が流れる擬音はジャーーーッ。


五月蝿いですか?
騒音ですか?

子供のすることだから仕方がないですか?
子供だから我慢しなければなりませんか?
生活音だから気にするのは神経質ですか?

自分も昔は子供で
迷惑をかけながら育ってきたのだから
我慢しなければなりませんか?





違いますよね。

自分の子供であっても
五月蝿いと感じる人はいますよね。

それなのに。

全くの赤の他人が
五月蝿いと感じない訳無いですよね。

そんな野蛮に育った憶えも謂れもありませんが。





家の中で走り回ってはいけないですよね。
家の中で跳び跳ねてはいけないですよね。
物は大切に使わなければいけないですよね。

野生の動物は躾られていませんよね。
でもペットは躾ますよね。
人間社会で暮らす為です。
人間の都合でもお互いに寄り添う為です。

お隣の犬は吠えますが飼い主がきちんと叱ります。
飼い主は挨拶もきちんとします。
目の前の一軒家は正反対ですが。

挨拶も無く状況も分からない相手が
四六時中何かしらの音を出している。

今までの方達は何も無かったのに
突如開始されたミシミシ地震地獄。


どんなに不気味か理解出来ますか?





自分を肯定出来ず他人を貶め誉める事が出来ず
相手の気持ちや状況すら推し量ることが出来ず
とてもじゃないですが怜悧とは言難いでしょう。

社会や皆という然も尤もらしいことは
虎の威を借る狐でしかありませんね。

更に咎められでもしたら狭量とか偏狭とか
社会のせいにして正当化するようですが。





暗渠の無法地帯を飼い慣らすことは螻蛄と同じ。

耳栓なんて気休めにもなりません。
音楽なんて楽しむ為に聞くものです。

それらは無理矢理シャットアウトさせたに過ぎません。

いや、シャットアウトすら何故しなければならないのでしょうか。





最終手段は引っ越ししかありませんか?
被害者が被害を被っているのに更に被らなければなりませんか?

思いやりがあるからこそ
告げ口のような悪くなるような
そのようなことは言いたくないのです。

言葉にしてしまったら受け止めてしまって
悲しむ人もいるのを理解出来ているから。

だからプロフェッショナルにお任せしなければならないのに
他人事で形のみ調査だけで誠心誠意の欠片も見当たらない。

返信も謝罪も改善も無いのならば
通報しても良いということですね。

証拠ならば問題ない程にありますからね。





安らぐはずの家で精神崩壊を促すのですか?

現在進行形で垂れ流しているのは
誰かに誇れる音ですか?
それとも劣る音ですか?
優しい音を奏でてくださいますか。





子供は五月蝿いです。
静かな子供もいます。

大人は大抵静かです。
大人も時に煩いです。

お互い様というのは想い合う相手が存在し
夏のふとした瞬間に感じる涼しさのように
冬のホッとした時に感じる暖かさのように
神以て成り立つお気遣い痛み入りますと。