なんで彼は私の高校に
入っていったんだろう。
学校で一度も見たことがない人だ。
頭の中は疑問でいっぱいで混乱していた。

次の日は、夏休みが終わり
2学期が始まる始業式だった。
昨日のこともあり、
落ち込んだ状態で登校した。
いつもの通学路を進み、
昨日の交差点にさしかかる。
今日は学校に行くので、
交差点は渡らないが彼の事が
頭をよぎりちらりと向こう側を見る。
今日は誰もいなかった。

久しぶりにクラスメイトと
会っても気分が上がらない。
彼のことが頭から離れない。

始業式。
やはり頭から彼の事が離れず、
校長先生の話もうわの空で聞いていた。
「では、校長からは以上にしたいと思います。続いて、夏休みに産休に入られた高橋先生の代わりに今学期からこの学校に来られた先生を紹介します」
壇上に上がってきた人を見るまでは。
少しウェーブのかかった髪。
少しくたびれたワイシャツ。
銀縁の眼鏡。
そして、本を愛おしそうに眺める
優しい瞳。
彼だ。

そのことを認識したとたん、
声が出そうになって
思わず口を押さえる。

彼が先生?
しかも、高橋先生は私の担任だった。
嘘でしょう?
私はあの本屋さんで出会えることを
期待していたの。
ここで出会えることなんか期待してない!
先生と親しく話すなんて
出来ないじゃない。
そんなことしたら、
絶対噂されて彼に迷惑をかけてしまう。

私はこんなに話したいのに。
この間の本のこと、感想聞きたいのに。
また、おすすめの本教えたいのに。
またあの幸せそうな目で本を、
私のすすめた本を見つめて欲しいのに!

私が心の中でずっと叫んでいる間に
始業式は終わってしまった。
クラスに帰っても落ち着かない。
親友に顔色が悪いと
心配されてしまう始末だ。
こんな状態では彼とこの教室で
顔をあわせたらどうなるか。

チャイムが鳴る。
先生がもうすぐ来てしまう。
どうすることも出来ず、
ただただうつむいて席に座っていた。

教室の扉が開く音がする。
先生らしい靴の足音。
そして、教卓の前で立ち止まる。
私が顔をあげられずにいると、
先生が自己紹介を始めた。
「高橋先生の産休の間このクラスを持つことになりました、春野高哉です。担当の教科は国語で古文です。よろしくお願いします」
初めて彼の名前を知った。
もっと違う形で知りたかった。
ますます顔が下を向き、
あげられなくなった。

「皆さんの顔と名前を早く覚えたいので、今一回出席をとってみたいと思います」
どうしよう、顔あげなきゃ。
頭の中では分かっているのに、
体が言うことを聞かない。
「加藤俊介、古藤愛理…」
どうしよう、呼ばれる!
やっぱり顔は上がらない。
「咲原天音」
彼に初めて名前を呼ばれた。
やっぱり顔はあげられない。
泣きそうだ。
「咲原?どうした、具合悪いのか?」
彼がこっちに歩いて来る音がする。
来ないで。
今あなたの顔を見たら私は泣いてしまう。
心の中では大声で叫んでるのに
声には出なかった。
「おい、咲原?大丈夫か?」
彼が私の机のすぐそばに立っている。
それでも顔をあげない私の顔を
のぞき込もうとする気配がした。
私は涙を必死にせき止めながら、
顔を上げた。
あの本屋さんで探していた顔が
そこにあった。
なんとかして涙をこらえてると
彼はもう一度きいた。
「咲原、大丈夫か?」
少し目を見開きながら。
「はい、大丈夫です」
「具合悪くなったら言えよ」
「はい」
彼が教卓に戻って行く。
こんな再会の仕方したくなかった。

放課後、
本屋さんに寄った。
学校終わってすぐは彼も
出てこれないと思ったからだ。
今顔をあわせたら、
やっぱり泣いてしまうと思う。
いつもの場所に行き、
本をながめていた。
見出しがついていて、少し
大きく売り出されている本があった。
なんの本か気になり、
そちらの方に歩いていく。
しかし、途中で足を止めた。

その本はこの間彼にすすめた本だった。
思いがけないものを見て、
さっきまでこらえていた涙があふれた。
必死に制服の袖で目を拭っていると
後ろから誰かが
走って来る足音が聞こえた。

「咲原!」
名前を呼ばれて肩がはねる。
なんで?
だってまだ学校にいるはずなのに。
最後に袖で思いっきり目を拭って
振り向く。
すると、彼は朝よりも目を見開いて
驚いた顔をした。
「目、真っ赤じゃないか!どうした、何かあったのか?」
すごい勢いで聞かれて
少しびっくりする。
「あ、あの。なんでもないです…」
「なんでもないことないだろう!そんな目真っ赤にするぐらい泣いてたんだろ?なにかされたのか?」
なにかされた?
されたといえばされたかも。
彼に言っても仕方ない、
彼のせいじゃないと
頭ではわかってるのに
どうしてという思いがふくれあがる。
「どうしてですか!どうしてあなたは先生なんですか?しかも私の担任なんて。この間の本の話したかったのに。もっといろんな本をすすめたりして仲良くなれるかもって思ったのに!どうして先生なんですか?先生と親しくなんか話せないじゃないですか!」
さっき拭った涙がまたあふれだす。
彼は困った顔をしている。
それはそうだ。
先生になんで先生なのかと聞いても
答えようがない。
彼は私の横にある本を手にとった。
そして、あの優しい目をして
本を眺める。
「この本、とても素敵な話だった。咲原が言ってたとおりだった。ありがとう、俺にこの本を教えてくれて」
にっこりと私に笑いかけた。
私の涙は止まって
いつのまにか笑顔になっていた。
「良かったです、楽しんでいただけたみたいで」
鼻をすすりながら、目元を拭く。
「よし、涙ひっこんだな」
私がうつむいていると、
頭に手に乗った。この間と同じ。
顔をあげると彼はそのまま
くしゃくしゃと頭をなでる。

「また明日な」
そういって彼は行ってしまった。
私はさっきまでの暗い気持ちから
少し幸せな気持ちになっていた。