梅雨というのは実に厄介な時期だ。
髪の毛ははねるし雨はうっとうしいし変に暑い。
朝20分早起きして髪の毛を必死にセットしている美由紀の姿を見ると、嫌でも梅雨だということを思い知らされる。

「美由紀、顔洗いたいから洗面所変わってくれ」
「……」

無言で美由紀は立ち退いた。
平手の一件があってから、美由紀は俺と話してくれなくなった。
お父さん嫌いの時期が来るより早くお兄ちゃん嫌いの時期がやってきてしまったらしい。

まぁ、そんなのは冗談で。
美由紀が惚れてる奴の、そいつの手首に傷があったということに対する俺の反応がどうやら気に食わなかったみたいだ。
美由紀は絶賛お怒り中である。

「めんどくせ……」

ただでさえうざったい梅雨なのに、めんどくさい。
顔を洗って、歯を磨いて、朝食を無理やり胃袋に収めると傘をさしていってきます。
今日も青空の下で弁当を食べるのは無理そうだ。




「雨、止まないな」
「そうね」

梅雨にさしかかってから、俺と遥は屋上まで続く階段で弁当を食べるようになっていた。
階段にはギリギリ屋根があり、俺と遥は身を寄せ合って昼休みを一緒に過ごしていた。
今日の弁当は冷凍ハンバーグ、ほうれん草とコーンのおひたし、トマト、そしてふわふわの甘い卵焼き。
いつものように卵焼きを遥にあげて、残りを全部平らげた。

「最近翔太元気無いわね、梅雨のせい?」
「いや、なんにもねーよ」
「あなたがそう言うのならそういうことね。感情なんて主張によっていくらでも変わるもの」

梅雨なのに相変わらず綺麗な髪だ。
首元に張り付くのが嫌だと言って最近はずっとポニーテールにしている。細くて白いうなじが大変ポイントが高い。

「妹と喧嘩しててな、何週間もずっと話せてねーんだ」
「翔太、妹いたの?」
「いるよ。生意気だけど、可愛い妹だ。美由紀っていってな」
「何かあったの?」
「いや、美由紀が好きなやつがどーしても、解せなくてな。惚気られたときについ怒らせること言っちまったみたいで」

たもととイメージがダブったせいでもあるけど、あのときの俺はちゃんとした返しができなかった。
でも美由紀にだけは綺麗なものを見て生きて欲しい。
愛花姉ちゃんの死を見たので最後にして欲しい。
そう思うのは兄として当然のことだろう?

「恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたもの、って言うけれど」
「なんなんだよそれ」
「妹さんが恋に恋してるだけならそんなに長引くことないでしょう」
「……そこまで本気ってことかよ」
「たぶんね」

遥は何の断りもなく俺の水筒のお茶を飲んだ。
この何週間かの間に俺と美由紀の溝は深くなっていったが、遥との溝は埋まりつつあった。

「愛で全てが救えるなんて言わないけれど、妹さんを応援してあげたら?
引き止めるんじゃなくて、引き返せない所まで来たときにさりげなく助けるのが兄というものでしょう」

遥も姉というだけあって説得力はあった。あんな情緒不安定な弟がいるのだから達観するのも納得できる。

アスファルトを打ち付ける雨は相変わらず止まない。
予鈴と同時に俺と遥は立ち上がり、屋上を後にした。